訴訟社会(99-7)
アメリカやカナダは訴訟天国というか訴訟地獄というか、何事も訴訟に持ちこまないと片が付かない。我々には理解し難いところです。こちらは訴訟社会ですから、話し合いと常識で解決できる簡単な問題でも、すぐ弁護士を頼んで訴えることは承知していますが、被害者が訴えるだけならまだしも、時には加害者が被害者を訴えるケースもあるのですから、クレージーです。昔の侍はひとたび家を出れば七人の敵を覚悟したようですが、アメリカでは家を出なくても訴訟が待ち構えているようです。親子で互いに訴えあう。家の前の歩道で通行人が転べば、その家の人が訴えられる。マクドナルドで熱いコーヒーをこぼした客が「コーヒーが熱すぎるから火傷をした」と訴える。すると裁判所の陪審は「それはマクドナルドが悪い」と、家の一軒や二軒買えるぐらいの金額の賠償を命じる。もっともそのかなりの部分は弁護士の懐に入ってしまうようですが。交通事故専門の弁護士も、彼らはいつも仕事を求めて救急車の後を追いかけていると、ジョークの材料になっています。先日息子の運転するレンタカーでカリフォルニアのハイウェイを走行中、私も助手席に乗っていたのですが、レーンを変えようとしてして、右側を疾走してきたマツダと接触。もちろん不注意な息子が悪いのですが、相手の車にはほとんど実害なし。その女性ドライバーも無事。「まあ、こんな不運なことは仕方がないでしょう」ともの分かりのいい様子をみせていたのですが、警察官が現場に到着すると途端に「アイタタタ」と顔をしかめます。シャイロックの二の舞いになるのでは、と思っていたら、果たして弁護士をたてて訴えてきました。保険会社の賠償だけでは満足しないのです。息子も弁護士を頼んで受けて立つ構えですが、決着まで一年ぐらいはかかるでしょう。イギリスでは、鬘をかぶる法廷弁護士バリスターと背広の事務弁護士ソリシターは厳然と分かれていますが、カナダでは、日本の司法書士に相当する仕事をする人達でも Barrister & Solicitor とドアに金文字で書いて、遺言や不動産登記の書類を作成しています。カナダのケベック州は人口七百万。そこに登録している弁護士の数は、一億二千万の日本の弁護士とほぼ同数だと知った時は驚きました。レディメードの文言をコンピューターでプリント・アウトし、高い料金をチャージできるのなら、濡れ手に粟のいい職業と、ロー・スクールを目指す若い男女が続くのは当然です。かねて弁護士にむしられていると感じる親も、息子や娘がむしる側にまわるのなら大いに結構とすすめるわけです。日本からのTVニュースをみていると、まだ書生みたいな感じの青年が眼鏡をかけて裁判官席にすわっています。日本の司法試験は難しいことで有名ですが、その難関をストレートでパスした秀才なのでしょう。たしかに厳選するのはいいことですが、そのために受験生の人柄や常識のバランスが犠牲になる恐れはないか。中央大学では六法全書のページをちぎって口に入れ食べてしまう学生がいたと, 同大学法学部出身のラジオ作家(西沢實先生でしたか?)がNHKラジオのインタビューで話していました。そのような涙ぐましい努力には脱帽しますが、感性豊かな教養や人情味あふれる人柄の持主ならそんなことをするかどうか。オンタリオのマクマスター大学の医学部では、点数万能の評価方式よりも人格重視の方針を打ち出しています。考えさせられることです。アメリカやカナダでロー・スクールに行ったといえば、「ほォーッ」という感じですが、日本の大学教授の話では、「日本の大学の法学部は北米の一般教養部に相当するゼネラリストの養成所」とのこと。なるほどそう言われればそうだと、なかば納得します。日本では法学士の営業マンや俳優が珍しくないのですから。そのような常識ある法学士のいる日本の企業では、契約書を作成する時も、弁護士抜きで、「誠意をもって解決に当たる」という一項さえあれば、めでたしめでたしと手を打つことができます。アメリカやカナダのように万骨枯れて弁護士だけがふとる訴訟社会よりは、大岡越前守の智恵にならって、まるく納めて三方一両損の、"なあなあ"社会の方が呼吸もしやすいように思うのですが

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