偏見(99-7)
最近ある人から、「今の日本の若い人達は、アメリカに対してコンプレックスのかけらもない」と聞いて、意外に思いました。いや、不思議に思いました。数年前のTIME誌に、韓国の若い人達が「日本に対するコンプレックス? とんでもない。逆に優越感こそあれ、劣等感なんてさらさらないね」と肩をそびやかす様に強調していた記事を思い出しました。ぼくは、言語上、体形上、アメリカ人やカナダ人に対して大いにコンプレックスを感じます。安岡章太郎さんが、昔「世界」に連載された「アメリカ感傷旅行」の中で、行きずりのアメリカ人の家に泊めてもらった際、「肌色の違う人間を、どうして自分達のベッドでやすませるのだろう」と案じたことを書いています。その気持は痛い様に分かります。カナダ人のアメリカに対するコンプレックスは屈折しています。カナダ人はアメリカ人に間違えられることを迷惑がります。だからと言って、「あっ、それは失礼! そう言えばアメリカ人はがさつですからねえ」なんて言おうものなら、一層不愉快な顔をします。コンプレックスは、教えられるものと聞きました。昔、朝日の本多記者でしたか、イヌイット(エスキモー)に、若尾文子とマリリン・モンローの写真をみせて、「どちらが美人と思うか?」と訊ねたところ、若尾文子の方を選んだという話、面白く思いました。そのイヌイットはコンプレックスを教えられていなかったのでしょう。幼い子供はコンプレックスという言葉は知らないのでしょうが、白人社会に住んでいれば、子供でも自分が白人でないことに気づきます。ニューヨーク郊外に住む日本企業駐在員の美人の奥さんが言っていました。「子供(小学校3年生の目のパッチリしたハンサムな男の子)が ”僕どうしてこんな変な顔なの?”と言うんですよ。」 この家族も、今は日本に帰って、今度は帰国子女の学校でのとけ込みという問題に直面していることでしょう。日本の学校の中には、「国語の力が弱いから」と、帰国子女の横滑りを渋る所があるそうですが、カナダの学校では、「できないのは英語だけですから」と言って、外国人の親を安心させています。同じ問題でも見る角度が違えばネガティブにもなりポジティブにもなるわけですね。マサチューセッツに住んでいた日本人家族の5才の女の子。利発な、とても可愛い子で、幼稚園でも人気者でした。「大きくなったら何になりたい?」と訊くと、しばらく考えて「American」。大人は思わず笑ってしまいました。その子も、今は東京近郊のアメリカンスクールに通っています。本人の希望だったのか、それとも親がアメリカの大学院で英語で苦労したので、その苦労を一人娘にはさせたくないのか。父親は日本で最高のエリート教育を受けた代表的日本人でしたが、それでも娘にはあえてアメリカンスクールに通わせる。若い両親の経済的精神的負担はさぞ大きいことだろうと思います。カナダに住む白人と結婚した日本人女性。「幼稚園の娘が ”ママもジェニファー(白人の友達)のママみたいな顔だったらよかったのに”と言うのでショックでした」と。その母親は博士過程のインテリ女性でした。小さな子供でも、まわりに同化したいという願望があるのでしょう。戦前の一世の人達にもそういう願望がありました。しかし自分達の世代での同化は無理とわかっていたので、二世三世に望みを託しました。ある人達は、子供に一切日本語を習わせなかった。日本語が、同化の妨げになると考えたからです。そうした日本語を話せない二世は、戦時中、ほかの日系人からはスパイとみなされ白眼視されました。カナダ政府からはもちろん敵として取り扱われました。戦後こうした人達の中から大蔵次官が生まれました。大蔵次官となったトム生山(しょうやま)さんは、日本語は「いらっしゃい」しか知りません。生山さんの父親は、後日、「自分が子供をカナダに同化させようとした努力は失敗だった」と述懐しましたが、大蔵次官のポストは、カナダ政府の官僚機構の中では、枢密院書記官長に次ぐ二番目の要職。果たして失敗だったのでしょうか。カナダで最も有名な日系人は、Dr. David Suzuki という科学者ですが、CBCで毎週一時間の科学番組をゴールデンタイムに放送しています。日本語が出来ないため、日本の旅館で宿泊を断られました。このDavid. Suzuki も、戦中戦後は「日系人であることは less than good であると思っていた」と言っています。他の著名な日系人でそれぞれの分野で卓越した業績をあげている少数の人達も、ほとんど日本語は出来ません。しかしバンクーバーで日本語学校に通った大部分の二世は、日本人のように流暢に日本語を話します。今は白人が日本語を勉強する時代です。ニューヨークで育った四世五世の中国系( American Born Chinese, ABC)でアメリカの名門大学を出た女性達は言います。「学歴があっても、この顔では、何世代経っても "Chinese" と呼ばれる。大銀行や一流の法律事務所では雇ってくれない。その点、香港の島へ行けば、中国語は全くしゃべれなくても、トップ企業が両手をひろげて歓迎してくれる。私達には、ニューヨークのチャイナタウンより香港の方が働きやすい」と。だから彼らもあえて共産中国に返還後の香港に行くのです。カナダからもどんどん帰って行きます。彼等は二重国籍を持っていますから、香港の風向きが変われば、いつでも戻ってこられる安全ネットを張った上で出掛けるのです。ただしメディアの世界では、テレビのキャスターに黒人や東洋人の女性がかなり起用されています。メディアは、politically correct という社会的プレッシャーがあるので、非白人(visible minority) の女性の方が就職に有利だという神話が横行しています。しかし、偏見はアジア人に対してだけあるわけではありません。J F K Jr の死去に際して、ケネディ王朝の話題が連日報道されましたが、ケネディ家の財力と政治力をもってしても、マサチューセッツのWASP (White Anglo Saxon Protestant) の扉をあけることはできなかったときいて、あらてめてアイルランド系に対する偏見の根強さに驚きました。ユダヤ人に対する二千年の偏見と迫害は、すさまじいものです。それに比べればアジア人に対する偏見と差別はもののかずではありません。そのほかイタリア系、ギリシャ系と、偏見の対象は幾らでもあります。カナダでも、英語系とフランス語系の間に偏見と反感が存在します.。傲慢な人が、フランス語で話しているケベック人に向かって、「Speak white !」と不快感をあらわすことがあります。日系人の間でも、戦前からカナダに住みついている日系人、1960年代後半以降の新移住者、日系企業の駐在員の三つのグループがあって、水と油、不信と偏見の三つ巴になっています。そして、日系企業の内部でも、日本から派遣された駐在員と現地で採用された社員との間の微妙な関係と差別。カナダ人は「Pathetic !(あわれ)」と頭を横に振ります。都会の中でもどちらかと言えば教養の低い人達の多い地域では、人種偏見が残っています。白人の子供達が東洋人の子供に対して、「自分の国へ帰れ」と囃したてていじめます。しかし、子供が中国系でなくて日系だと分かると、いじめません。戦前の日本にも、わけのわからないまま、「朝鮮人、朝鮮人」と囃したてる子供達がいました。韓国の若い人達は、赤ん坊の時から、「泣くと日本人が来るよ」と親に脅かされて育ったそうです。しかしカナダで会う韓国人は日本人に対して非常な親近感を示してくれます。韓国系の店では、「Japaneseの小切手ならOK。しかし Chinese はダメ」と言います。「韓国と日本は(文化や考え方が)一緒だが、中国は違いますからね」と言われて、顔をあからめる思いです。ところで獅子文六が書いていましたが、昔の横浜では、父親が外国人、母親が日本人の混血児はいじめられた。父親が日本人、母親が外国人の混血児はいじめられなかったそうです。これも日本人の偏見のパターンのひとつか。こちらの大学で教えている日本人学者は「要するに唐人お吉ですよ」と一刀両断。カナダ人と結婚したインテリ日本女性は、「日本人はうちの子供に "お前のお母さん、バーの女か" と言うんですよ」と、故国の偏見に身をふるわせる思いのようでした。25年前のロンドンで聞いた話ですが、イギリス人の男のステータスシンボルは日本女性を連れて歩くこと。同じくイギリス女性のステータスシンボルはテリアの犬を抱いて歩くこと。フランス女性の場合は黒人と手を組んで歩くこと。英国男性の腕にぶら下がって歩く大和撫子は、「日本人の男なんか…」と意気軒昂でした。しかし、知り合いのロンドン大学教授はイギリス人男性の国際結婚に懐疑的。「イギリスの女に対等に立ち向かえないか弱い男なんだよ。だから言葉の点で優位にたてる外国人に走るのさ。まあ、仲間の間では軽んじられているがね」と、冷ややかでした。こうしたイギリス人の男性も pathetic なのでしょうか。妄言多謝

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