返事(05-11-14)
昨夜ご帰国になって、すぐお便りをたまわり、まことに有難うございました。
強烈な中国のトイレの印象、今更の如く、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」(創元選書)の名文を思い出しました。
厠というのは、文明文化の象徴ですから、皆さん切実な思い出が多々あることでしょう。
いつか、「散歩の達人」という雑誌が、トイレ特集を行っていましたが、それによると目黒の雅叙園のトイレが豪華で清潔だとにリポートしてありました。 私は雅叙園に行ったことは無いのですが、どんな所なのでしょうか。
京都の加茂川のほとりの大野屋旅館のトイレの床はガラス張りになっていて、下が池の延長にっており、魚が泳いでいたかどうか、その辺の記憶はあやふやとなってしまいました。 50年前のことですから。 まだどこもしゃがむ形式の時代でした。
あの頃でも、丸の内の昔の三菱仲何号館という戦前からのオフィスビルのトイレは腰掛け式でしたね。
そして、戦後大分経ってから、特二の車輌のトイレが腰掛式になったのが、時代の移り変わりをうかがわせるものでした。
公団住宅もかなり前から腰掛式になっていたのではありませんか。
私どもも、先だって、ようやくウォッシュレットを買ったのですが、これは断然日本の方が進んでいますね。 我々が買ったのも日本製です。 しかし取り付けようとしていたところへ、家主から帰国の連絡があったので、そのまま箱に入っていて、未だに利用していません。 引っ越した先のアパートで使えるようだったら、試してみたいと思っています。
日本で初めてトイレを使う外人は、トイレにはいったまま40分は出てこないそうですね。 そして出てきてから30分は深い内省の面持ちで沈黙を守り、その経験を他人に分け与えようとしないそうです。
1990年にパリに行った時、オペアをしていたうちの娘の部屋は召使専用の狭い螺旋式の階段をコツコツ歩いて上がった6階にありましたが、その階の共同便所は、丸い穴があるだけでした。
その高級アパルトマンの表の玄関のエレベーターは2人乗ればば満員という大きさ。 その頃でしたか、パリで、旧式な鳥篭みたいなエレベーターのギーッガチャンという音に悲鳴をあげた日本の女の子に、老婦人が、「あんた達知らないだろうけれども、これはアサンスールと言う乗り物でね」と一席講釈、アジアからの蛮人娘に教えのたもうたそうです。
私も、モスクワやカルカッタの空港のトイレでは、一瞬躊躇しましたが、息をしないまま用を足しました。 まだソビエト連邦の時代でした。 カルカッタの空港に夜着陸する時は、滑走路の両脇の誘導路の灯りが、松明のように炎で燃えているのが見えましたが、1962年でした。 今頃そんな昔噺をすると、笑われるだけでしょう。 しかし昔も今も切実な自然の要求です。
中国の文明開化も、そのうちトイレに順番がまわってくるでしょうが、何時の日でしょうか。
(05-11-14)

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