誕生日 (05-10-16)
イノさんへ
10月10日がお誕生日でしたか。 私も10月が誕生月です。 もっとも羊年ですが。 私の小学校からの友達に、同年同月同日に生まれた男がいます。 もっとも、彼はベルリンで生まれ、私は鹿児島で生まれたのですから、時間はかなりずれていると思うのですが、生年月日に基づく占いがもし当たるのであれば、2人の運命や境遇に共通点がありそうなものです。 しかし実際は、性格も能力もかなり差がありました。 彼は私と違って、頭脳明晰、運動神経抜群でした、混血児のプラスがもたらした天与の素質だったのでしょうか。
お父さんは大学教授。 御祖父さんは鹿児島市の初代市長。 お母さんはドイツのご出身。 父君がドイツ留学時代に結婚され、1931年の10月に1人息子が彼の地で生まれたというわけです。 そして親子3人で戦時色の濃い鹿児島に帰郷。 軍国主義と封建色に染まる薩摩隼人の町で育ったのですが、お母様は、終生ドイツに帰ることなく、戦災のさなかも焼夷弾の降る中で踏みとどまれ、戦後の艱難辛苦もつぶさに嘗められたようです。
彼はいわゆるアイノコだったわけですが、優秀な資質を持ち合わせていたからでしょう。 戦時中でも、まわりから一目置かれる存在でした。 毛色が変わっているからと言って、いじめらるようなことは毛頭なく、むしろお山の大将的存在で通っていました。
彼の結婚式は本郷の学士会館で行われましたが、金髪の母君は、裾模様の和服に胸高く帯を締められ、満面の笑みを浮かべて人々の挨拶を受けておられました。 その胸中はいかばかりかと、戦中戦後のご苦労を知るだけに、万感迫る感慨を想像したことでした。
先日電話で彼に母君のご様子を訊ねたところ、90歳を越えるお年で、今もご健在とのこと。 シニアの集まりに出かけるのを楽しんでおられるとのことで、嬉しく思いました。
彼もドイツ語は、鹿児島弁、標準語と同様、呼吸をするが如く自由なのですが、遂に海外に出たという話は聞いておりません。 一方私は、英語やフランス語から逃れるために東洋史を選択し、LOAFING を決め込んだのですが、天運ままならず、生涯の半分を海外で過ごすことになりました。
イノさんの生涯も波乱に満ちた一路を邁進してこられたわけですが、それだけに今送っていただいているエッセー集は、真実の旅路を記録されているのですから、その集大成をさらにひろめることは出来ないものかと、思案するのです。
シゲより (05-10-15)

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