Thursday, August 24, 2006

卒倒体験(2006/08/24)

イノさんへ

先日もお伝えしましたように、不覚にも自宅で倒れ、イマージェンシーに入院する羽目になりました。 今はもうすっかり回復し平常の生活に戻っています。

火曜日に前立腺の手術を、病院の外来で受け、午前中で帰宅。 金曜日にカテーテルを外してもらい、「当分は重い物を持たないように。 またなるべく坐らずに、立つか寝そべるように」と言われ、これで一件落着と思ったのでした。 ところが自宅で吐き気を覚え、洗面所で倒れてしまいました。

私自身は倒れた瞬間のことは全く覚えていないのですが、家内が心配して見守っている目の前で、ドシンと仰向けに倒れたそうです。 

家内は直ぐ「911」に電話をかけたのですが、瞬時に応答。 「呼吸は? その間隔は? とにかく受話器を持って傍に行き、状況を話続けて知らせるように」と話しあっているうちに、ドアに3人の消防士がやってきました。 ダイヤルを回してから2分と経っていたでしょうか。 それに追い掛けるようにして救急車のパラメディックが3人。 私の容態をチェックすると、「後は私達がやるから」と消防士達に帰ってもらったそうです。 

その頃には私も意識が戻り、床に横たわっている自分に気がつきました。 それにしても男の声が戸口でします。 「誰か訪ねてきたのかな」と思ったのですが、立ち上がろうとすると、「そのまま、そのまま」という声とともに、誰かが脇の下を抱えて起こしてくれました。 エレベーターで下へ降りると移動式の寝台が用意してあって、それに乗せられて救急車へ運ばれました。

病院に着くと、直ぐイマージェンシーの治療室に直行。 午後2時ぐらいだったでしょうか。 それから12時間、色々なテストをして、CTスキャンで脳もチェック。 午前2時に、トランジットラウンジという暫定病室に移されました。

倒れた瞬間は、別に目まいがしたわけでもなく、まわりが点に収斂することもなく、目の前が黒く暗転することもありませんでした。 よく蘇生した人達が語る、トンネルや三途の川も見かけませんでした。 天国の門もロダンの「考える人」の佇む地獄の門も見えず、パラメディックの声で目が覚めたのでした。 ですから「仮死」に近い状態ではなかったのでしょう。

しかしあれで若し心臓が止まっていたら、実にあっけない最期でした。 死ぬ本人は痛みも苦しみもなく、黄泉の世界に移れるのですからいいのですが、あとに遺された者が大変です。 その混乱を少しでも減らすようにするのが、これからの余生の責任だと、病院のベッドで考えたことでした。 

もしカナダ統計局の平均寿命が私にも当てはまるなら、私の余生はあと3年。 うちは大体短命の家系で、父も伯父達も、一人を除いて全員50代の前半で亡くなっています。 私も日本に居た頃、医者に「50までもちませんよ」と引導を言い渡されたのですが、それが30代の半ば。 それから海外に出て一度休暇で戻った時診てもらったら「もう大丈夫」と言われました。 「カローシ」という言葉に無縁の環境に暮らすようになったからでしょうか。 

検査の結果、大量の水を飲み過ぎて体内の塩分が極度に減少したことが原因で卒倒したことがわかりました。 今回の入院は3晩4日でしたが、遂にまともな病室に移ることなく、イマージェンシーの延長であるトランジットラウンジという、14のベッドの並ぶ大部屋で過ごしました。 一応カーテンで仕切ってあるとはいえ、声は筒抜けです。 看護師も患者もその間走馬灯のように移り変わっていきましたが、多様な人間模様をみていて、「創造主はよくこれだけ多彩な人間を創ったものだ」と今更のように驚いたことでした。 

隣のベッドには、日本に10年滞在した人類学者もいましたが、そのプロフェッサーと並んで、そのほかにベッドで泣き叫ぶ人、頭のおかしい人もいて、自分の置かれた境遇について改めて恵みを思い知らされたことでした。

(06/08/24)

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