Thursday, September 07, 2006

友への私信(エスペラント) (2006/09/06)

イノさんへ

超ご多忙の中を、わざわざ日本エスペラント学会まで足を運んでいただき、早速その模様を具体的にお知らせいただいたことに、いつものことながら、イノさんの果敢な実践の動きに深く感銘しました。 

先日来、esperakira としてコメントをいただいていましたが、「エスペラキラ」というのは、投書された方のペンネームだったのですね。

なお、私の拙文に誤解を招くような稚拙な表現があり、失礼いたしました。

葬式の際にエスペラントで弔辞が読まれたのは、祖父でなく、私の父の姉のみきのが死去した時のことです。 みきの伯母は、東京女子大の2回生で、新渡戸稲造の薫陶を受けました。 昭和40年頃、当時カリフォルニアに住んでいた娘夫婦を訪ねた際、癌に倒れ、帰国して、東京の病院で病没しました。 聖書に通じ、高齢になってからもドストエフスキーなどを読んでいました。 エスペラント語を終生勉強していたとは、甥の私も葬儀の席に出るまで知りませんでした。 

明治元年生まれの祖父は、和15年頃鹿児島で亡くなりましたが、祖母がクリスチャンであったにもかかわらず、生涯無宗教ではなかったかと思います。 葬儀は神道で行いました。 エスペラントのほか、カナ文字の唱道にも熱心で、死後毛筆で書かれたカナ文字論がかなり残っていました。 しかし祖父の生前、私は幼児だったので、口をきいてもらった記憶はありません。

祖母は、明治の女にしては珍しい英語使いで、留学生が祖父を訪ねてくると通訳をしていたようです。 しかしクリスチャンでありながら、病床の祖父には比較的冷たかったらしく、そういう祖母の態度をみていた私の父は、教会とはつかず離れずの姿勢をとっていました。 しかし死の直前になって洗礼を受け、クリスチャンになりました。 母も同様、死の直前、洗礼を受けました。 父は、息子の私が言うのもおかしな話ですが、世的には一介の小売店主に過ぎなかったのですが、立派な人で、多くの人に慕われていました。 私も天国に行ければ両親と再びまみえることができることを楽しみにしています。

(06/09/06)

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