Monday, June 13, 2005

長い話(00-1)

東京大学の蓮實総長の入学式式辞が長くて難解だったことが、話題になっているようですね。 終戦直後は南原繁先生の式辞が新聞に掲載されて、子供心にも東大の学長の演説は大事なニュースなんだなと感心したものです。 その後大河内一男先生でしたか、「肥った豚と痩せたソクラテス」という名句が話題になったように思いますし、「ただ酒を飲むな」というプラクティカルな教え、あれも東大学長の実践訓だったでしょうか。 怪しい記憶なので自信はないのですが。しかし今の新聞界も、日本の公務員として最高の給与をとる東大の総長の式辞は、時代の行く手を示す灯明として、注目しているのでしょうね。しかし、50分も中味の濃い話を、聞き慣れない言い回しで聴いたら疲れるでしょうね。 私自身も長話の方で、「10分ばかリ話を」と言われて40分もダラダラと続けるのですが、他の人と違って内容がなく、たわ言ばかりなので顰蹙を買っています。日本一の難関を突破した高卒の俊秀は、100分授業で鍛えているので、50分の話など長いと感じなかったのでしょうが、父兄や留学生の中には戸惑った人がいたかもしれません。 何回も腕時計をのぞいたりして。しかしひょっとしたら、秀才の中には、受験科目以外の書物には目くれず、ひたすら効率のよい勉強に専念してきた素直な学生もいて、カルチャーショックを受けたかもしれません。 果たして何人の人が、式辞の内容を覚えているでしょうか。 まさか居眠りをするような豪傑はいなかったのでしょうね。なにかどこかで、最近ある落語家が、眠っている客に気がついて、怒って追い出したそうじゃありませんか。 詳しい事情は知りませんが、その話だけ単純にきくと、自分の芸の拙さは棚に上げておいて、怒るとは、思い上がりも甚だしい、情けない芸人もいるものだと呆れました。 本当の芸達者なら、仕事で疲労困憊している客の眠りを吹き飛ばすような面白い話をしてみせるのが真骨頂じゃないですか。 昔の芝居の客は、舞台の演技に背を向けて弁当を食ったそうですね。 それを舞台に向かわせるのが役者の力だったのでしょう。 こちらでたまに日本の音楽会のシーンをテレビでみることがありますが、みると、舞台に近い席で眠っている人がいる。 「これがききしにまさる日本の猛烈社員の過労死寸前の姿か」と、外人の眼には映るのかもしれません。ふり返って、モントリオールから行なっていた日本語放送ですが、昔のエレベーターで下に降りる時河童に尻の穴を抜かれるような感じを思い出して、気分がよくありません。 短波放送のリスナーは、ヘッドフォンをかけてインテンシブに聴いて下さる有難いお客様。 それなのに、ラジオ評論家からは「へそのない番組」と指摘され、リスナーからは「聴くのが苦痛」という率直な批判を受けたこともあります。 新聞記事の分かる所だけを翻訳し、泥臭い口調で読み上げる。 それを聴いて頭に残った人が果たしていたのだろうかと忸怩たる思いです。さて、私も蓮實先生の式辞を読んでみました。 なるほど難解です。 難解な言説で有名なフランスの哲学者フーコーの議論を、オーストラリア人が難解な英文で解説し、それをさらに京都大学の学究が翻訳した力作を思い浮かべました。しかし、蓮實先生は、その前の卒業式ではもっと分かりやすく話をしておられます。 大学院の卒業式の告辞にいたっては、フランス文学者のエスプリが光って面白いのです。私の通った学校は象牙の塔には程遠い雰囲気でしたが、英語流にいえば一応 socially acceptable。学士院会員や文化勲章をもらった先生はいませんでしたが、学生は頭より人柄のいい若者達が大勢いました。 先生が「ここは花婿学校だよ」と言うのをきいて、言い得て妙と思いました。 入学式や卒業式でも、蓮實先生のように学生の知性に挑む話は聴かなかったように思います。 聴いたのかもしれませんが、私には理解できなかったのでしょう。アメリカやカナダでも卒業式はあるのですが、私のみた限り、卒業生は次の人生行路への歩みに気をとられて、行事には冷淡な学生もいました。 卒業式で演説をするのは、卒業生の代表のバレディクトリアン(総代)と名誉博士号をうけるゲストの名士の二人だけでした。 総長はスピーカーを紹介し、卒業生一人一人に証書を手渡すだけ。 ある日系人女子学生は、自分がグレート・ディスティンクション、つまり首席で卒業できたことを掲示板で確認すると、卒業式は欠席しました。 別な日系人女子学生は、卒業式には出ないつもりでロンドンに行き働き始めたのですが、大学から「バレディクトリアンとして演説するように」とに電話があったので、仕事を途中で切り上げカナダに帰ってきて数分話しました。 こちらの大学では、首席の人が必ずしもバレディクトリアンに指名されるとは限らず、勉強以外の要素、つまり部活や社交性、将来性を勘案して選ぶようです。 ある日系男子学生の場合も、成績は一番ではなく、二番手のマグナクムラウドだったのですが、クラスを終えて既にカリフォルニアで実習していたところをマサチューセッツの大学院に呼び戻され、バレディクトリアンとしてスピーチしました。 30年前、日本でのセールスマン稼業をやめBBCの日本語部に雇われた時、アメリカ人の知人が、「12才の子供に話すつもりで喋りなさいよ。 ルーズベルトの炉辺談話。 あれも実にやさしい話だったからね」とアドバイスしてくれました。 「ルーズベルトのファイヤプレースのラジオトークは有名なので、何度もやったような印象があるけれども、実際に行われた回数はきわめて少ないんだよ。 それだけ彼の炉辺談話のインパクトは大きかったわけだ」という話でした。カナダでNHKの短波を聴いていた時に、日本の政治学者としてトップの先生が話しておられました。 しかし先生の口調は実に退屈なのです。 一緒に聴いていた人が、「あれだけつまらなく話そうと思ったら、かなり努力が必要だね」と呟きました。 しかしその先生の話は、教会の小さなサークルでも伺ったことがあるのです。 静かな奥行きの深いお人柄で、一言一言が含蓄に富み、たいへん印象深い一夜でした。聖書のイエス・キリストの話も、譬え話ばかりで分かりやすいのでが、弟子達の教えになると難しくなり、神学者の解説はさらに難解ですね。前にも書いたことがありますが、やはり日本からの短波放送を、途中から聴いていたところ、神主の祝詞が流れてきました。 いや、祝詞だと思ったのです。 ところがアナウンサーは、「只今のは鈴木善幸総理大臣の国会答弁でした」と締め括ったので驚きました。 しかしあれでなければ日本の政治家として大成しないのでは、とも考えました。また、短波で洒脱な会話が聞こえてくるので、落語家のインタビューかと早合点したところ、八幡製鉄の稲山天皇の談話でした。さすが若い頃から父親に連れられて、東京の花柳界で遊ばれただけあって、粋な話術だと、感服しました。小渕総理の話はまだラジオで聴いたことはないのですが、早大弁論部詩吟部のOBときいて、期待しています。 ただ村松増美先生でしたか、「小渕さんの日本語は翻訳不可能!」と嘆かれたという噂をきいて、それが神話であればよいがと願っています。小渕総理も電話魔で自ら外部の人に直接かけられるそうですが、好感がもてます。 ケネディ大統領も直接新聞記者に電話をかけていたとか。 ケネディの没後30有余年、ぼつぼつ毀誉褒貶の見直しが行われていますが、こちらのメディアはいまだにケネディの神話を繰り返し取り上げているところをみると、1000日のケネディ時代は戦後最大の華麗な花火だったのでしょう。 私もその頃暫くアメリカにいたのですが、優秀な学生が、「ケネディは6ヶ月でアイゼンハワーの8年間よりも多くのことを成し遂げた」と喜んでいました。 大学の先生も「今日はケネディの演説がある」とラジオのスイッチを入れ、終わると「彼は演説がうまいなあ!」と感心するのをみて、(日本で池田総理の演説に耳を傾けるインテリがいるだろうか)と考えました。 イギリスにいた間、ヒヤリングの苦手な私にも分かりやすかったのが政治家の発言でした。 毎年予算が発表されると、大蔵大臣がBBCのラジオを通じて国民に語り掛けます。 それが実に平易明快。 幼児にも分かるように話しますから、耳の悪い私でもその時だけ英語が上達したような錯覚を覚えました。大臣はその省きってのスポークスマンでなければなりません。アメリカのビジネス・スクールの中には、MBA取得の条件として、卒業前に英語のテストを行う大学があります。 留学生ならともかく、生まれた時から英語を使っているアメリカ人が今更何故と思うのですが、経営者としてコミュニケーションのスキルが大事なのでしょう。日本の科学者が書いた日本語の文献を見せられた時、お恥ずかしいことですが、何が主語で何が述語か分かりませんでした。 またイギリスの外交官が日本の外務省の口上書をもってきて、訳してほしいと言われた時も、花婿学校程度の学力では歯が立ちませんでした。小泉信三が書いていましたが、噺家のいわく、「あっしらは話を刈りこもうとするが、学者の先生方は何もかも言おうとして詰め込まれる」と。葬式で弔辞を述べた方が、色々な思い出を限られた時間に詰め込んで話そうとされたため、聴いている者には、LPレコードをSPの回転で回していたような印象が残りました。BBCラジオの「レター・フロム・アメリカ」は正味13分半。 毎週半世紀にわたってアレステア・クックが目の見えない人のために絵画を描くつもりで話していますが、イギリス人は、毎週土曜日の午後6時15分になると、ラジオの前にすわり耳を傾けます。 ワールド・サービスの短波でも世界中に流していますから、インド人の友人も毎週その時間になるとラジオの前にすわるのだと言っていました。 アレステア・クックは、ニューヨークのBBCで録音するのですが、スタジオに入る2時間前までは、何について話すか決めていないそうです。 しかし、あるリスナーから「よくあれだけの話を即興で話せるものだ」という手紙をもらった時は、ケンブリッジとエールで演劇を勉強したアレステア・クックも驚いたと、笑っていました。私がいた頃のBBC日本語部員の一人当たりのトークの時間は9分。 今思えば長過ぎた感じですが、海外放送の場合、日本語を喋る人が少ないのですから、多くの人に短い時間でバラエティをもたすのは難しいという事情もあります。CBCにはアレステア・クックのような独り語りの名人はいませんから、現在ストレート・トークの時間の限度は2分半。 昔はもっと長かったのですが、だんだん短くなってきました。テキサスで大きく伸びている教会の牧師は、説教の時間が16分。 それが成長のキー・ファクターかどうかは知りませんが、ニューズウィーク誌はそれとなく暗示していました。蓮實先生の式辞も、50分でなく16分だったら、分かりやすかった代わりに、新聞も取り上げなかったかもしれませんね。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home