ホテルあれこれ(06-04-05)
イノさんへ
ホテル業界の話題を取り上げたエッセイを拝読して、私にも幾つか昔のシーンがよみがえってきました。
日本では一泊5万円のホテルが盛況だとうかがい、今浦島は平成の栄華の巷にスピーチレスといったところです。
日本の人は、昔から、一点豪華主義。 戦後まだバラックが普通だった頃でも、洋モクに火をつけるライターはPXから流れてきた舶来物。 時計も、ローレックスが流行る前は何やら難しい名前のスイス製。 今はホテルが一泊豪華主義の対象なんですね。
戦後池田蔵相が渡米して、池田ロバートソン会談を行った時は、池田さんも木賃宿だったかどうかは知りませんが、地味な宿に滞在されたと聞きました。
戦後長いこと、日本人の渡航の際の外貨持ち出しは500ドルに抑えられていましたが、財政の総元締めとして、池田さんは率先範を垂れたのかもしれません。
藤山外相が渡米した時、夜ひそかにダレス国務長官がホテルを訪ねる姿がみられたと、大森実が報じていましたが、ダレス長官はプロペラ機で精力的に世界を駆け巡った事で有名。 当時まだ三等国だった日本の外相を深夜訪れたホテル外交もその一環だったのでしょうか。
朝海大使が東京に戻って不便に思ったことは、英米のようなクラブが日本に無いことだったそうです。 当時でも霞ヶ関や丸の内辺りには外人を主体としたクラブもあったのでしょうが、日本人には敷居が高かったのかもしれません。 外交官のOBでも、海外からの賓客を迎えるには、やはりホテルということになる。 ホテルがクラブの代用ということだったようですね。
松村謙三も、外国の要人に会う時、ホテルの金屏風を配した部屋を使ったということでしたが、松村さんも清貧だったのでしょうか。 自宅に外国からの客を招くのは、まだ憚られる時代でもあったのですね。
麻布鳥居坂の国際文化会館はクラブのような機能がありました。 イノさんも既に会員になっておられるかもしれませんが、もし未だでしたら入会をお奨めします。 旧岩崎邸の庭に面した食堂では、今は知らず、昔は郵船系のシェフが調理した料理が安く食べられました。 勘定はビルにサインすれば、毎月請求書が送ってきます。 宿泊も、元来が知識人向けですから豪華ではありませんが、必要にして十分な寝室があり、これも会員の紹介があれば低料金で利用できます。 その他にキュービクルがあって、デスクにチェアだけの小さな密室ですが、執筆に、あるいは都会の雑踏を逃れてひと時の瞑想を試みることができます。 講演会も世界の碩学を招いて随時開催。 本郷からはちょっと遠いかもしれませんが、六本木から直ぐですから、イスラエル公使と歓談するのには好適でしょう。 もっとも私の体験は45年も前のことですから、参考にならないかもしれませんが。
私が日本で最後にホテルに泊まったのは1985年筑波万博の時。 パレスホテルに泊まったのですが、フロントの感じも良く、メードさんは見かけませんでしたが、部屋の支度も行き届いていて、オークラや帝國ホテルよりも好ましい印象がありました。 その時ニューオータニにも泊まったのですが、部屋が狭くて清潔とは言いがたく、筑波の田圃の中のビジネスホテルみたいでした。 たまたま運が悪かったのでしょう。
あれは帝國ホテルの犬丸徹三だったでしょうか。 社長室を地下にもっていったのは。 犬丸さんがロンドンのホテルでコックの修行を始めた時は、在英の日本人達から「恥だ」と不評だったそうですね。
カナダのデルタホテルでは、社長が一日ラインの一番下に就いて、客室のトイレの清掃からベッドメーキングまで行います。 どのくらいの頻度で行うのか、それともあれはTV番組のための一日下積みだったのか知りませんが、デルタホテルの社員達は、心強い社長の意気込みだと喜んでいました。
ドラッカーでしたか。 アメリカで一番評判のいいモテルは、社長がチェーンを訪ねて廻り、そこの古参のメードに案内させて細部を点検し、不備があれば、メードの視線でみた改善をはかるそうです。
今年夏のシルビアホテルの料金は99ドルから159ドルです。 多分海の見える部屋が高いのでしょう。 家庭的なホテルですから、社用族のための特別レートが適用されるのかどうか知りませんが、やはり年々少しずつ高くなっていくようですね。
シゲより (06-04-05)

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