Sunday, January 29, 2006

ハーパーの横顔(06-01-29)

[Stephen Harper のプロフィール]
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「保守党の新政権は2月6日から発足だね」

「スティーブン ハーパー党首は、2~3日前喘息の発作が起こって救急病院に担ぎ込まれたが、政権担当は大丈夫なのだろうか」

「喘息は子供の時からの持病だし、まだ46才だから、病院に行った翌日には、元気な姿を見せていた。 別に心配は無いだろう」

「しかし若いのには参ったな。 カナダもGセブンの一つだろう。 それでいて、未知数の若い理論家によく国政を任すものだ」

「若いと言っても、カナダでは40台の前半で首相になった人はほかにも居る。 39才で首相になり、翌日40才になったジョー クラークをはじめ、ブライアン マウルーニーとか、キム キャンベルなど。 いずれも進歩保守党だが、マウルーニー以外はいずれも短命に終わっている」

「ハーパーは西部のチャンピオンを自任しているが、本来はトロントの人だろう」

「トロントで生まれ、高校までトロントで過ごした。 父親は公認会計士だ。 3年前に亡くなったが、その父親を尊敬し、母親とも親しく、兄弟とも仲がいいようだ。 高校では殆どの学科で満点に近い成績だったらしいが、すぐには大学に行かず、アルバータに行って、石油産業で自分の力を試そうとした。 しかし3年経ってから、カルガリー大学に入り、経済学の勉強を始め、大学院に進んだ。 そしてアダム スミスやフリードリッドリッヒ ハイエクを読み、マーガレット サッチャーやロナルド レーガンに傾倒したらしい。 その頃、と言っても20年ぐらい前になるが、アルバータで、オンタリオやオタワに対抗して西部の勢力振興を意図するプレストン マニングに見込まれ、彼の創立したリフォーム党の政策立案の中心人物となった。 その頃から、ハーパーも生粋の西部の人として生まれ変わったようだ。 しかしカリスマや熱弁には興味なく、あくまで西部カナダのパワーを実現する政策構築に専念、冷徹な理論派に徹していたようだ」

「でも、その西部の政治家達とも考えが異なることが表面化して、かつてブレーンとして助けた議員と相対する立場にもなったそうじゃないか。 そうした人達にしてみれば、裏切られたという思いもあるのでは」

「そういうこともあったかも知れない。 しかし西部の保守勢力が、最初はリフォーム党のたった一人の議員から出発して、幾多の進化的プロセスを経て、保守合同にいたり、今回の選挙では124名と、第一党の地位についた。 その王冠を手にしたのがハーパーだったのだが、もともとライムライトを好まない人物に運命の女神は微笑んだわけだ」

「彼が親思いの人だということは判ったが、家族については?」

「奥さんはアルバータの人で、グラフィックデザイナーだ。 内気なご主人と違って、社交的で明るい人のようだ。 幼い子供が二人いて、いつもハーパー自身が学校まで送っていく。 それにハーパーはピアノも弾く。 アイスホッケーのファンでもあり、自身でもスケートを履いてリンクでも滑っている」

「今回の保守党の勝利は、地方で成し遂げられた。 トロント、モントリオール、バンクーバーの三大都市では、保守党は票が取れなかった。 大都会にソッポを向かれた形だが、ハーパーの次の課題は、大都市の有権者に信頼される保守党を築くことだ」

(06-01-29)

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