Monday, March 13, 2006

ハーパー、アフガニスタンへ(06-03-13)

イノさんへ

今スティーブン ハーパー首相はアフガニスタンに行っています。 普通ならカナダの首相になれば、就任して先ず最初の表敬訪問するのがワシントンになりそうなものですが、ハーパーが、政界やメディアの虚をついて、アフガニスタンに飛んだとは、意外でした。

カナダはイラクには出兵こそしませんでしたが、アフガニスタンには、多国籍軍の協力国として参加。 カナダは、伝統的にピースキーパー、平和維持軍として、海外の紛争地域にカナダ軍を派遣し、国際社会に貢献してきました。 しかし今回は、ピースメーカーという役割で、ピスキーパーよりは、もっと積極的に軍事力を行使して、紛争に介入する役目を求められています。

しかも、最近では、多国籍軍の指揮系統を含む主力部隊としての責任を担うことになり、来年2月までという期限ではありますが、2200名の兵士が派遣されました。 しかしアフガニスタンに到着した途端、タリバン勢力の攻撃を受け、数人の死傷者を出して、カナダはその実情に驚くとともに、軍事介入の将来についても、議論がまきおこっています。 

これでは、カナダのベトナムになるのではないかというのが、一部のカナダ人の気持で、何故タリバンを相手に戦うのに、カナダが犠牲者をださなければいけないのかという疑問の声が発せられています。

しかし、カナダの戦力増強を政治的課題として掲げる保守党は、今は討議する時ではない、駐留するカナダ軍の支援一筋にまとめるべきで、さもあらずんば、非愛国的。 したがって議論は許さるべきでないというのが保守党のスタンスです。

ハーパーのアフガニスタン行きは、勿論極秘のうちに計画されましたが、ブッシュのイラク訪問が2時間だったのに比べ、ハーパーの滞在は2日以上。 兵士の士気向上に役立っています。

ハーパーが首相になってから一ヶ月余り。 4月3日には新議会が始まりますが、それまでは、野党もメディアも休戦状態。 閣僚達に対する緘口令もまだ解除されていないようで、どの大臣も口をつぐんだままです。 ですから今までのところ、ハーパーのワンマンショー。  近く京都議定書に関する国際会議が開かれますが、カナダの環境大臣が会議の司会者となります。 京都問題については、親分のハーパー首相とともに反対の立場をとっている女性大臣ですが、会議をどう運営していくのか、これも成り行き不明のままになっています。
  
その間、依然燻っているのが、デービッド エマソンの乗り換え問題。 なかなか選挙区の人達は、エマソンを許そうとしません。 ハーパーも、アフガニスタンに飛んだのはいいのですが、エマソン問題になると、二重人格的言動で終始しており、反撥の波紋をいたずらに大きくしています。

シゲより

Saturday, March 04, 2006

長いしこりの米加関係(06-03-04)

「地球を見回してみても、お隣の国と関係がうまくいっている地域というものは案外少ないものだなあ」

「日中、日韓ともに、一般市民レベルでの交流はともかくとして、政府レベルではどうもギクシャクしているからね。 でも東南アジアでは、大方うまくいっているんじゃないか」

「アメリカとカナダの関係にしても、歴史的には緊張の期間の方が長い。 それこそ一般市民の間では、家族の誰かがアメリカに住んでいるとか、言葉や文化も同じなら生活様式も似ている。 それなのにワシントンとオタワの関係となると、どうもシックリいかない」

「それでも、18世紀や19世紀の頃に比べれば大分よくなっているらしい。 昔は 文字通りかたき同士だったのだから。 アメリカがイギリスに対し独立戦争で立ち上がった頃が、最悪の時期だった。 その時期、祖国イギリスに反旗を翻すことを潔しとしない人達が、アメリカを去って北へ向かった。 それがカナダの始まりだ。 その頃アメリカでは、いっそカナダも併合してアメリカの一部にしようと言う動きもあったようだ。 ところがカナダ東部に移り住んだ親英派にしてみれば、頼みの綱のイギリスが肝腎な時に動いてくれない。 その頃イギリスは、ナポレオンに危惧を覚えていて、カナダの要請を受けても動けない情勢にあったようだ」

「だからその時機を狙って1812年、アメリカはオンタリオに攻撃を仕掛けてきた。 ところがどっこい勝負がつかない。 結局アメリカは南に撤収し、矛をおさめたのだが、あの頃が両国の関係もどん底にあったと思う」

「いや、それからさらに20年以上たった1837年にも、戦火は再燃している。 この時は、カナダ国内で、イギリスの支配を不満とする分子がいたので、その反抗勢力にアメリカが肩入れした。 ところがこの時も、アメリカ勢はカナダによって反撃され、攻撃に加わったアメリカ人は処刑されたり、オーストラリアに流刑の憂き目にあったり。 そうしたいざこざは、結局は終息する方向に流れていったのだが、国境付近では絶えずきな臭い小競り合いがあった」

「カナダが独立したのは1867年だが、その頃のアメリカは南北戦争でたいへんな時代だった。 それからも両国の関係は、晴れたり曇ったり、天気が崩れることもあったようだ」

「アラスカとブリティシュコロンビアの境界をめぐる紛争も長く続いたが、1903年イギリスがリードした国際裁定の場で一応かたがついた。 しかしそれはカナダにとっては不満な裁定だった。 その頃のカナダには、ワシントンと直接交渉する能力がなく、国際会議の舞台ではイギリスに代弁してもらっていた。 カナダが直接外交の場で独自に発言できるようになったのは1944年だからね」

「しかし1950年代には、自由主義諸国とソビエトの共産圏の対立が激しくなった。 1957年には、北米の対空防衛システムが樹立されたが、その頃カナダの経済は実質的にアメリカの傘下に置かれていた。 何しろカナダの石油や天然ガスの70%はアメリカ資本の下にあり、オンタリオの自動車産業にいたっては90%がアメリカ資本だった」

「そうした時機に登場したのがディーフェンベーカー首相だ。 アメリカではケネディが登場する。 ディーフェンベーカーは若いケネディ大統領を尊敬していなかったし、ケネディもキューバ危機の際、カナダに事前通告をしなかった」

「その後でカナダの首相になったのはピアソンだが、彼はアメリカのベトナム北爆に反対していた。 これに怒ったジョンソン大統領は、1965年キャンプデービッドを訪れたピアソン首相の胸倉を掴んでつり上げ、罵詈雑言を浴びせたのは有名な話だ」

「トルドー首相とニクソン大統領も、お互いに嫌い、軽蔑しあっていたからね」

「ところが、マウルーニー首相とレーガン大統領の時期になると、アイルランド人同士のよしみで、仲の良いところを大いに見せてくれた」

「それでも、木材をめぐる燻りの火種は1984年に始まっているんだね」

「その後はクレチアン首相とクリントン大統領だが、これも仲のよいゴルフ仲間で調子が良かった」

「ところがジョージWブッシュが2000年に現われると急に悪化した。 イラク戦争を支持しなかったクレチアンを嫌って、ブッシュはカナダを無視し続けた。  2004年二期目の当選を果たし、カナダの首相がマーティンに交代してからやっとカナダを訪れたが、その時もカナダの意向に反する演説を行って、カナダ側を面食らわせた」

「今のハーパー首相は、イデオロギー的にはブッシュに近いとされているが、北極海をめぐるカナダの主権をアメリカは認めようとしないし、20年以上争っている木材問題も未解決のままだ。 唯我独尊のワシントンにハーパーがどれだけ食らいついていけるか、私には見当がつかない」

「ハーパーが総理になって6週間。 既に国内でも色々摩擦が生じている。 発足したばかりの保守党政権だが、国民との蜜月時代はまだ実現していない」  

Wednesday, March 01, 2006

メキシコの殺人の謎(06-03-01)

イノさんへ

最近のカナダの話題というと、どうしても猟奇的な事件になりますが、メキシコでのカナダ人殺人事件は、日本でも既に報道されていることと思います。

エキゾチックな名前のカナダ人のカップルが、メキシコのカンクーンで行われる娘の結婚式に出るため、家族連れで出かけたのですが、滞在中のホテルで何者かにノドを裂かれて殺され、死体が浴室と寝室で発見されました。 それだけでも大きな事件ですが、その犯人の捜査をめぐって、メキシコ警察の動きがおかしいとあって、ますますセンセーショナルな様相が拡がっています。

しかも舞台の設定が世界的にもトップクラスとされる、ファイブスターのリゾートで、殺された夫婦もアッパーミドルの金持ち。 それも娘の結婚式の当日というのですから、アガサ・クリスティの小説よりも奇なりです。 そして耳から耳にかけてノドを掻き切って殺されていたとあっては、筋書きを聞くだけでも身震いがします。

メキシコの警察は、事件の容疑者を、同じホテルの向かい側の部屋に泊まっていた二人の若いカナダ人女性とみて、二人は既にカナダに逃亡したと発表しました。 驚いたのは犯人に仕立てられた二人。 彼女達も、別な結婚式に出るため、たまたま同じホテルに投宿。 事件の当日、殺人事件の仔細は知らないまま、チャーター便でオンタリオのサンダーベイに帰国したのですが、自分達が犯人に擬せられていると知り驚愕しました。

この二人は、医者の卵と臨床心理学者で、かねてからコミュニティや教会のボランティアとして活躍する、非の打ち所のない人達とされています。 それに二人とも30過ぎたばかりの、幼児をかかえた、ブロンドの美人とあっては、いよいよ奇怪なストーリーが劇的に展開されてきます。

メキシコの警察では、リゾートの人気を落とすまいと、捜査の進展については多くを語ろうとしませんが、それも不可解な態度と、クェスチョンマークがふくらんでいます。 それどころか、今でも犯人はカナダ人説を捨てきれず、二人の女性の国外引渡しを求めるつもりらしいというのですから、謎は深まるばかりです。

カンクーンといえば、カナダ人にもホリデーの憧れの地。 メキシコの警察はあくまで土地の観光産業への悪影響を恐れて、事件を伏せておこうとするのだろうとみられています。 しかし内密にしようとすればするほど、メキシコの治安には一層疑いの目が向けられるだけでしょう。

カナダの連邦警察も協力したいと申し出ているのですが、メキシコ側の反応がどうもはっきりしません。 カナダの外務省も警察も手を拱いているわけではありませんが、隔靴掻痒の有様。 そのうち証拠が消え去らなければいいのですが。

シゲより