Wednesday, April 19, 2006

再び英語哀歌(06-04-19)

日本の文科省が提案している小学校の英語の時間は週1回ですか。 それでは中国の子供達に追い抜かれてしまいますね。 中国人にしてみれば、「英語は日本語にくらべて遥かに容易」ということのようです。 日本語はハンガリー語と並んで、世界の言語系統のなかで他の言葉に関連のない、孤立した至難な言葉だそうです。 だから日本人も、英語が苦手なんでしょう。 

TVで、日本問題特集の討論番組がありましたが、出演していたニューヨークの日本人バンカー。 年齢から察して、支店長か現地法人の社長クラスなんでしょうが。ジャプリッシュで健闘していました。 しかし司会者の質問や、他の出席者の発言とはポイントのずれた論旨を、訥々とモノローグ的に語ります。 ノートを見ないのは感心ですが、想像するに、多分予め練習して覚えてきた科白を述べているのでしょう。 あれがニューヨーク駐在の、日本を代表するビジネスマンとしては平均的英語だろうと思い、批判よりも同情の念が先にたちました。 しかしアメリカの視聴者にはどう受け取られたことでしょうか。 

エドモントンの日本総領事にしても、追いかけるCBCニュースのTVリポーターの質問には答えず、後を向いて笑顔で手を振りながら急ぎ足で立ち去っていく。 私がもしその場に居合わせたら、矢張り同じように逃げたかもしれませんね。 バンクーバーの日本領事達も、パーティーの席では「沈黙は金」を遵守しているようですが、高い国費をかけて短期間ずつ赴任してくる天皇陛下の名代。 現地の人とのふれあいが希薄なら、特権を享受する外交官としての責務は一体何なのでしょうか。

ところでTVの討論番組ですが、テーマが日本であっても、日本人が出てきて討論に参加することはまずありませんね。 日本と中国が戦っていた昭和初期、蒋介石夫人の宋美齢がアメリカで活躍して、アメリカの世論を中国に惹き付けることに力があったことは有名ですね。 その頃日本の立場を訴えた人は誰か居なかったのでしょうか。 当時アメリカの女子大生であった鶴見和子さんは、巡回講演者としてアメリカ各地をまわり、啓蒙に努めたようですが、所詮日本からの女子学生と中国の総統夫人とでは、比ぶべくもなかったのでしょうね。

英語の先生ですが、カナダ人で海外でESL(English as a second language)を教えたいという人は幾らでもいます。 そういう人達を海外に送り出すのはカナダにとっても輸出になります。 ESLの教授法は米加で長年発達していますから、デモシカでも訓練次第で短期間にセミプロの教師ぐらいにはなれるでしょう。 

それにカナダ英語は、イギリス英語とアメリカ英語の中間、所謂大西洋の真ん中に位置する英語として、訛の臭みがないのが特徴。 アメリカの大手放送局でもカナダのアナウンサーなら諸手をあげて歓迎。 リポーターや大事な番組のアンカーにも多数重用されています。 

また、日本でアメリカから教師を招聘するには、受入校の方でビザの面倒をみなければなりませんが、カナダの若い人ならワーキングホリデービザで簡単に飛んで来られ、すぐその日から合法的に働けます。

話は飛びますが、カナダのナイアガラで、ジミー・パタソンが2億ドル出して、水族館を建てる計画が伝えられましたが、それも狙いはアメリカからの観光客。 ところが、アメリカ政府は来年から米加の相互訪問にも旅券を要求しています。 従来は自動車の免許証でよかったのですが。 アメリカ人の大半は旅券を持っていませんから、「カナダに行くのに旅券が必要なら行かない」という反応です。 従って水族館の構想もお流れとなってしまったようです。

Tuesday, April 18, 2006

ある日本人の英語哀歌(06-04-18)

イノさんへ

先日お送りいただいたエッセイの中で、都知事が「英語を小学校から教えるとはナンセンスだ」と喝破した旨承りましたが、日夜言葉にからむ失敗や恥辱に悩んでいる凡夫としては、もう少し真意を伺いたいものだという気がいたします。

前にも申し上げたことがありますが、英語国では英語の力が人格の一部としてみなされますから、私など人格欠落者として扱われるのは致し方ないと、侮蔑を甘受している次第です。

幕末、薩摩から欧米に留学した森有礼は、明治政府の文部大臣となり、英語を公用語とすることを提案したそうですが、国粋主義者によって暗殺されてしまいました。 

かつてイギリスやアメリカの植民地だった国の人達が英語に堪能なのは解りますが、ヨーロッパや中近東の政治家やジャーナリストが英語を自由に駆使するのにはいつも驚かされます。 日本では広島の秋葉市長ぐらいでしょうか。

才能教育が昔から普及している日本では、ピアノやバイオリンを幼児に習わせるのが常識ですが、才能教育の一環として二桁の九九計算もやらせていましたね。 英語の才能教育も、鉄は熱いうちに鍛えよ。 幼い時から始めるのに越したことはないと思うのですが。 

豊かな日本では、高校生の子女をアメリカやイギリスに留学させることが珍しくなくなりました。 たしかに高校時代の一年留学も効果があるようですね。

知り合いの若いアメリカの外交官は、高校時代、一年山梨に留学し、その後アイオワ大学、ハーバード大学院で日本語に磨きをかけたので、高度の日本語を話し、新聞も読んでいます。 バンクーバーに着任する前は、旧満州の奉天に在勤していたそうですが、その地の中国人の英語能力の高さには、語学の天才に近い彼でさえ驚嘆していました。 それらの中国人は、勿論留学したことはないのですが、「CDなどで勉強するのか、その語学力には舌を巻いてしまう」と感心していました。 その人も、バンクーバー在勤中、日本総領事館主催のパーティーや集会に度々出席したようですが、そこに出席している日本の領事達は全員口をつぐんだまま。 司会は現地のカナダ人が日本語と英語でやっていたと、目を丸くしていました。 今度札幌に赴任するのですが、何故日本の英語教育の効率が悪いのか、彼にもしその気があれば、博士論文が書けるかもしれません。

日本人は、英語というとイギリス英語を崇拝しますが、隣に住む82才のイギリス人は、60年前にカナダに来た時、イギリスアクセントを笑われたので、カナダ訛を真似するのに苦労したそうです。 CBCの同僚もイギリス英語を嫌うのには驚きましたが 一口にイギリス英語といっても色々あるのでしょう。 

私がロンドンに住んでいた頃の家主は、戦前、東京外語や士官学校で教えた人でしたが、ある日BBCTVで、ロンドンのイーストエンド出身の男性が日本の国税庁長官に英語のレッスンをしている様子をみて、身震いしていました。 私には、コクニーとBBC英語の違いは余り判らなかったのですが。

一方、私がBBCで研修を受けた教官は、「どこでそんなLOUSYアメリカンアクセントを拾ったのか」と軽蔑の色を隠しません。 1960年頃ニューヨークのアメリカンランゲージセンターで一夏習った米語は、英国では通用しませんでした。

私はロンドンでデモシカ代用教員として、日本語クラスを夜間担当したことがあるのですが、授業中にオーストラリア人の青年が手を挙げて「先生の出身はどちら?」と訊きます。 「ナニ鹿児島? 日本語は東京でないとダメだと聞いたが、京都の日本語も女性的だからよくないとか」と生兵法を披露します。 .その御仁がクラスで一番出来が悪かったのですが、大体文法の細部にこだわるような人は大抵上達しませんね。 「では英語を習うにはオーストラリアがベストでしょうか」と訊くと、クラスは笑いに包まれました。 日本の英会話学校でも、「オーストラリア人はどうもね」と敬遠する傾向があるようですから。 

ドナルド・キーン先生は、戦時中日本語を特訓で勉強していた頃、アメリカのどこかに日本人の農夫か漁師がいると聞くと、飛んで行ってその人の話を聞いたそうですね。 別に山の手の東京弁をという注文はつけなかったようですが。 

私が幾ら難しい単語を覚えても、6才の金髪の童子の英語には及ばないと悟ったのは30の時。 ところが最近では所詮昭和一桁の付け焼刃では3才の幼児にも劣るのだと諦めるようになりました。

シゲより   (06-04-17)

Wednesday, April 12, 2006

友への手紙(06-04-12)

イノさんへ

私の見た映画は、「ブロークバック マウンテン」という題で、「クラッシュ」ではありません。 そのうち「クラッシュ」もまわってくるだろうと思いますので、その節はまた観にいきたいと思います。

「ブロークバック マウンテン」はカラーのはずなんですが、私の目には、曇りの日に黒眼鏡を掛けたような按配で、画面は、大自然も含めて、暗い色調でした。 登場人物の金髪も白髪に見える始末。 おまけに、台詞が南部の訛りとあって、とても筋を追うことが出来ず、残念ながら楽しめませんでした。 

我が家のテレビは、大分前に買った中国製の13インチですが、一応色は見えます。 音はモノラルですが、イアフォンの方が聞きとりやすいので、片方の耳で聴いています。 私が観るのは、ニュースとインタビュー番組ですが、75才に手が届くと、ヒアリングも理解力も格段に落ちることを痛感します。

バンクーバーに住む弟が、「プラズマを買ったから見に来い」というので出かけたのですが、42インチ、今流行りの横長の画面で、中国製の3,000ドル。 韓国製の方が高く、日本製はさらにもっと高いそうです。 中国製でも十分と思えましたが、なるほどうちのテレビに比べて格段に見やすい。 しかし所詮私の目には猫に小判。 それに年寄りには重過ぎます。 たまには掃除のために動かさなければならないこともあるでしょうから、もし買うとしたら、プラズマでなくて手軽な液晶の方が無難かなと思いました。

イノさんは私より5才お若いのですが、気力迫力は一まわりお若い。 12才の違いがあります。 私達も、教会でのベーグルサービスで、5年前は、朝昼晩と3回のサービスに茶菓を出していたのですが、今は朝9時から午後2時まで。 「あの頃はまだ若かったんだなあ」と「老いやすし」の溜め息が出ます。

もしカナダの平均寿命が私にもあてはまるとすれば、後3年。 BC州の男性は、カナダでは一番平均寿命が長く、80才強だということですが、そうすると後5年あまり。 「無事是れ貴人」だそうですから、私も貴人にあやかって、無事のうちに行く末を過ごし、ピンピンコロリで参りたいものだと、そう願う次第です。

仕込み杖をイギリスの骨董店でみつけられたとのことですが、イングランドの骨董店巡りも面白い旅でしょうね。 私は20年以上前、ケベックシティに行った時、ちょうどカーニバルのシーズン。 冬のさなかです。 目抜きの通りを、ブラスバンドを先頭に長いパレードが行進するのですが、トランペットなどの金管楽器が、よく唇に凍りつかないものだと思いました。 道路に並ぶ市民の中には、仕込み杖を抱えた人が多く、そこからお酒を飲んでいました。 零下20度でしたが、「今日は風が無いから暖かい」と言っては、ぐい飲みをして、凍てつく謝肉祭を祝っていました。 

イングランドの古い町やフランスのプロバンスをまわって、骨董品を仕入れて、日本に持ち帰れば、結構お客がつくでしょうね。 ニューヨーク州の知事や副大統領をつとめたネルソン・ロックフェラーは、まだ学生だった頃、ニューイングランドの田舎の古いコロニアル風の家を訪ねては、古い家具を買い集めていたということですが、若い時から目端がきいていたのでしょう。

あるバンクーバーの知人は新潟の出身ですが、リビングルームに、裏日本の田舎で買ってきた等身大の仏像を、リビングルームの暖炉の脇に飾っています。 「カナダの友人達の垂涎の的でね」と笑っていましたが、日本の片田舎にも、結構隠れた美術品がまだ多く眠っていることでしょう。

哲郎の妻のバハレの叔父さんは、イラン、フランス、カナダの三つの旅券を持って、フランスから骨董のグランドピアノやギリシャ風の円柱など仕入れてきては、トロントで売っています。 日本にも度々行くようで、初対面の折「いらっしゃいませ。ようこそ」と挨拶されたのには驚きました。 トロントの北にミニ宮殿のような家があり、昔イランで若く貧しかった頃バハレの親に世話になったからと、恩返しの意味で、哲郎達の結婚式を自宅で行ってくれました。 ちょうど夏。 西瓜の季節でしたが、「イランでは、西瓜のことを『ヘンダワネ』というが、日本でそう話すと大笑いになる」と笑っていました。 そんな人でも、ラスベガスにホリデーに行こうとすると、旅券に出生国が「IRN」とあるので、トロント空港で、アメリカの移民官に入国を拒否されるそうです。 

シゲより   (06-04-12)

Thursday, April 06, 2006

ホテルあれこれ(06-04-05)

イノさんへ

ホテル業界の話題を取り上げたエッセイを拝読して、私にも幾つか昔のシーンがよみがえってきました。

日本では一泊5万円のホテルが盛況だとうかがい、今浦島は平成の栄華の巷にスピーチレスといったところです。

日本の人は、昔から、一点豪華主義。 戦後まだバラックが普通だった頃でも、洋モクに火をつけるライターはPXから流れてきた舶来物。 時計も、ローレックスが流行る前は何やら難しい名前のスイス製。 今はホテルが一泊豪華主義の対象なんですね。 

戦後池田蔵相が渡米して、池田ロバートソン会談を行った時は、池田さんも木賃宿だったかどうかは知りませんが、地味な宿に滞在されたと聞きました。 

戦後長いこと、日本人の渡航の際の外貨持ち出しは500ドルに抑えられていましたが、財政の総元締めとして、池田さんは率先範を垂れたのかもしれません。

藤山外相が渡米した時、夜ひそかにダレス国務長官がホテルを訪ねる姿がみられたと、大森実が報じていましたが、ダレス長官はプロペラ機で精力的に世界を駆け巡った事で有名。 当時まだ三等国だった日本の外相を深夜訪れたホテル外交もその一環だったのでしょうか。

朝海大使が東京に戻って不便に思ったことは、英米のようなクラブが日本に無いことだったそうです。 当時でも霞ヶ関や丸の内辺りには外人を主体としたクラブもあったのでしょうが、日本人には敷居が高かったのかもしれません。 外交官のOBでも、海外からの賓客を迎えるには、やはりホテルということになる。 ホテルがクラブの代用ということだったようですね。

松村謙三も、外国の要人に会う時、ホテルの金屏風を配した部屋を使ったということでしたが、松村さんも清貧だったのでしょうか。 自宅に外国からの客を招くのは、まだ憚られる時代でもあったのですね。

麻布鳥居坂の国際文化会館はクラブのような機能がありました。 イノさんも既に会員になっておられるかもしれませんが、もし未だでしたら入会をお奨めします。 旧岩崎邸の庭に面した食堂では、今は知らず、昔は郵船系のシェフが調理した料理が安く食べられました。 勘定はビルにサインすれば、毎月請求書が送ってきます。 宿泊も、元来が知識人向けですから豪華ではありませんが、必要にして十分な寝室があり、これも会員の紹介があれば低料金で利用できます。 その他にキュービクルがあって、デスクにチェアだけの小さな密室ですが、執筆に、あるいは都会の雑踏を逃れてひと時の瞑想を試みることができます。 講演会も世界の碩学を招いて随時開催。 本郷からはちょっと遠いかもしれませんが、六本木から直ぐですから、イスラエル公使と歓談するのには好適でしょう。 もっとも私の体験は45年も前のことですから、参考にならないかもしれませんが。

私が日本で最後にホテルに泊まったのは1985年筑波万博の時。 パレスホテルに泊まったのですが、フロントの感じも良く、メードさんは見かけませんでしたが、部屋の支度も行き届いていて、オークラや帝國ホテルよりも好ましい印象がありました。 その時ニューオータニにも泊まったのですが、部屋が狭くて清潔とは言いがたく、筑波の田圃の中のビジネスホテルみたいでした。 たまたま運が悪かったのでしょう。

あれは帝國ホテルの犬丸徹三だったでしょうか。 社長室を地下にもっていったのは。 犬丸さんがロンドンのホテルでコックの修行を始めた時は、在英の日本人達から「恥だ」と不評だったそうですね。  

カナダのデルタホテルでは、社長が一日ラインの一番下に就いて、客室のトイレの清掃からベッドメーキングまで行います。 どのくらいの頻度で行うのか、それともあれはTV番組のための一日下積みだったのか知りませんが、デルタホテルの社員達は、心強い社長の意気込みだと喜んでいました。  

ドラッカーでしたか。 アメリカで一番評判のいいモテルは、社長がチェーンを訪ねて廻り、そこの古参のメードに案内させて細部を点検し、不備があれば、メードの視線でみた改善をはかるそうです。

今年夏のシルビアホテルの料金は99ドルから159ドルです。 多分海の見える部屋が高いのでしょう。 家庭的なホテルですから、社用族のための特別レートが適用されるのかどうか知りませんが、やはり年々少しずつ高くなっていくようですね。

シゲより   (06-04-05)

最近のハーパーの動き(06-04-01)

「ハーパー首相も、先週メキシコのカンクーンに飛んで、初めてブッシュ大統領やメキシコのフォックス大統領と顔を合わせたが、ブッシュとは意気投合したようだね」

「ブッシュはイラク問題で手いっぱい。 フォックスも間もなくメキシコ大統領を退任。 ハーパーは首相になったばかりだが、なにしろ少数与党だからね。 いつまでもつか、とても安定政権とはいえない。 ハーパーとしては、今度は過半数をとって、二度目の政権を狙うことが宿題だ。 しかしブッシュも、カナダの前の首相、マーティンやクレチアンとは霜がおりたみたいな冷やかな間柄だったが、ハーパーとは似た者同士で、最初からウマが合ったようだ」

「ハーパーが、米加関係のトゲとなっている長年の課題、針葉樹材の輸出をめぐる両国の争いを持ち出しても、ブッシュは『よし、わかった』とは言わないが、予想外にソフトな対応だったのは、解決に希望がもてる」

「カナダも、自由党のクレチアンやマーティンの時代は、イラクには出兵しなかったし、弾道ミサイルの防禦計画についてもワシントンの提案を断ったから、ブッシュはカナダに対していらだっていた。 そしてアメリカ最大のパートナーであるカナダをことさら無視するような態度に出た。 しかしハーパーには心を許した同志の扱いだ。 ハーパーがアフガニスタンにカナダ軍を訪ねたことも、同じ様なことをしたブッシュとしては賛辞を惜しまなかった」

「しかし、アメリカはカナダとの国境も締め付けようとしている。 今まではカナダ人もアメリカにはほとんどフリーに入国できた。 しかしこれからは、他の外国人なみに旅券の呈示が必要になるし、国境での検査も厳しくなるだろう。 そうなると、国境を越えてアメリカに旅行したり買物に出かけるのにもブレーキがかかるだろう。 ということは、両国の観光産業や流通産業にマイナスの影響があるということだ」

「メキシコもカナダやアメリカからの観光客が必要だ。 だからメキシコで起こったカナダ人夫妻の殺人事件も、メキシコ当局は噂が広がるのを押えている。 そうしてフォックスが『あの事件はカナダ人の犯行だ』とにおわせ、ホテルから姿を消したメキシコ人従業員については調べた模様がないのも不思議な話だ。 犠牲者の家族は憤っている。 これではメキシコ当局に不信の念をもつのも無理はない」

「カナダの議会は4月3日に始まるが、保守党政権は今までのところ、手の内を明かそうとしない。 ハーパーのワンマンショーとなっているね」

「それもマスコミをコントロールして、大臣も閣議の後、記者団の待つ廊下を避けて、不透明なままだ。 何しろハーパー首相も、執務室のある議会の建物に入るのに、記者の待つ表玄関を避けて、裏口のゴミ箱の間を通って登院するのだからね」

「そうした秘密主義は、昔の政治家にも見られたらしいが、プレスを遠ざけても、結局は成功しなかったそうじゃないか」

「2月に発足した保守党政権は、いよいよ月曜から、議場で野党の質問に答えなければいけない。 そうなれば、いつまでもハーパー首相のワンマンショーというわけにもいかない。 ハーパーも今までは、アフガニスタンだ、メキシコだと、外交的な活動が表に出ていたが、これからは国民に公約した政策の実現に向かって取組むわけだ。 オタワの政治記者も武者震いしているだろう」

(06-04-01)