Friday, June 30, 2006

友への私信: 1万円の食事」(06/06/29)

大福の老舗の仔細を早速お調べの上お伝えいただき有難うございました。 東京も大震災、大空襲と、幾度も全滅に近い災害を経験したのですが、その度に見事な復興を遂げて、名のある名店が何代も伝統の灯を守っているとは、嬉しい心意気ですね。

それにしても、一回の食事が一人前一万円を軽く超えるとは、さすが日本ですかね。 バンクーバーだったら、その四分の一もするでしょうか。 クィーンエリザベス公園に、クリントンとエルツリンが会食したレストランがありますが、そんな最高の所でも、二人で五十ドルも出せばお釣りが来るでしょう。 それは、味もサービスも、日本の四分の一程度でしょうが。 

十五年前に、新宿のデパートに集まった小学校の同窓会の時も、会費は一万円を超えていましたから、それから年月が経った割には、余り値上りしていないとも言えるかもしれませんね。 日本の汽車弁は一万円するのがあると読者から便りをもらったのは何年前だったでしょうか。 

ウォーレン・バフェットという富豪のことは知りませんでしたが、フォーチュンやフォーブスにはしばしば登場したのでしょうね。 「美田を残さず」とは西郷南洲に共通した哲学かと思いますが、カナダの横断鉄道で出会った婦人を思い出しました。 ヨーロッパから移住してきて、艱難辛苦の末、今日の財を築いたのでしょうが、「オタワの郊外に広い土地を持っているけれども、子供達には残さない。 すべて社会に還元する心算」と語っていました。 以前アメリカで相続税を緩和せよという議論があった時、テレビで反対の意見を述べていたのは、ビル・ゲイツの父君とロックフェラー一族の比較的若い人でした。 

サッカー談議に関連して、ある方から投書をいただいたことがあります。 「サッカーの選手が、ダッコチャンよろしくフィールドで抱き付くのは醜態だ」と嘆いていましたが、あれはやはり海外からの輸入でしょうか。 ボートレースの後で舵手を隅田川に投げ込むのもテームズ川の慣わしを真似たもの。 「ついでに審判も紅毛の鬘をかぶったらよい」とある教授が書いたら、ボート部学生の逆鱗に触れたことがありました。 もっとも最近はこちらの新聞にも「TANKAN」という言葉が出るようになりましたが、あれは日銀の「短観」がそのまま英語の記事に輸出されたもの。 日本的お辞儀の習慣もそのうち広まってほしいものですね。   (06-06-29)

Wednesday, June 28, 2006

友への私信: 医療の費用(06-06-28)

「友への私信: 医療の費用」

Eメールの字を大きくしていただいて、断然読みやすくなりました。 有難うございました。 秘書のYさんにもお礼を申し上げます。

腰痛には鍼が効くようです。 家内の場合も、最初の第一回の治療で、ほとんど痛みがとれました。 しかし2時間もすわっていると、少し痛みが出てくるので、今度はフィジオセラピーに行くべく、来月のアポイントメントをとりました。 フィジオセラピーは痛みを覚える荒療治の話をよく聞きますが、今度はマッサージ方式なので、痛くないと聞かされ、期待しているようです。

カナダの医療は、原則として、税金でまかなっていますから、新しく開発された治療や薬品ででもない限り、患者が個人で負担するということはありません。しかしブリティッシュコロンビア州では、その外にエキストラの医療保険料を払います。 我々の場合は、二人で月に約100ドルを払っていますが、他の州では、大抵エキストラはないようです。 ですから、BCに移住したいと考えた人の中には、エキストラがあるのならと、BCへの移住を見合わせ、他の州に落ち着く人もいます。

私共は、幸いにも、CBCに勤めていたお蔭で、薬代も、鍼の治療費も、民間保険会社が払ってくれますが、月々の掛け金は100ドルぐらいです、 私の場合老人病の薬代が大きく、鍼の治療費、その他食物アレルギーの療法なども、その80%から100%を支払ってくれるので、掛け金よりも多い額を払ってもらっています。  しかしこの特典もいつまで続くかわかりません。

ジェネラルモータースのCEOのインタビューを最近聞いたのですが、GMにとっての焦眉の経営課題とは、トヨタに追い抜かれようとしている危機感もさることながら、従業員や退職者の医療費の会社負担を如何にして減らすかということが最も緊急な責務となっていることが、会長の語り口からヒシヒシと伝わってきました。 この会社負担の医療費が経営を圧迫しており、かつては世界一だった会社の退職者や現役社員の将来も、斜陽の翳に脅かされています。 経営者にとっては、ハイブリッド車の開発やマーケットシェアの死守よりも焦眉の問題が医療費だとは私も知りませんでした。 

カナダでは国民は医療がタダという建前にはなっているものの、GMの悩みは実はカナダの連邦政府ならびに州政府にもあるるわけです。 カナダにいる限り病気になっても経済的な心配だけはしなくてもよいという過去の概念は神話になりつつあります。 

こちらの人が東京を訪れると、街は健康な若い人であふれているという印象を受けるようです。 街では老人や身障者は見かけなかったと言います。 東京の交差点は、歩いて渡るのではなくて、押されて渡ってしまうのだと言う感想を聞いて、長寿天国の日本で老人や身障者の姿はどこにいったのだろうと思いました。 押されて渡る交差点でも、老人や身障者は安全なのでしょうか。 カナダの田舎から東京に行けば、別な惑星を訪れたような強烈な印象を覚えるのかもしれません。

本郷か小石川の岡埜栄泉の始めた日本料理の店。 テレビでは数分紹介されただけでしたが、折り目正しい若主人が包丁を振るい、和服姿の端正な若奥さんが創作料理を説明しながら侍るのは、平成離れのした明治人にもお気に召すかもしれません。

(06-06-28)

身辺些事(06-06-27)

「身辺の些事ですが」

どうも東京とバンクーバーの交信が、最近本郷から情報をいただく流れが一方通行になってしまい、申し訳なく思っております。 私の怠慢のせいですが、デッドラインに迫られているわけでもないので、ついつい・・・ということになってしまいました。

倦怠感の方は、一部の薬の副作用がやんで、75才としては人並みの状態に戻ってきたかと思うのですが、目の方がはかばかしくありません。 井上さんのお薦めの食材は出来る限り摂取するように心がけています。 その中には目の為に良いという成分もかなりあって、忠実にインストラクションに従っています。 しかし即効は期待できないようです。

この2~3日また視力の劣化がぶり返してきたようで、午前中はコンピューターも比較的読めるのですが、午後遅くなると怪しくなります。 イノさんからのメールを拝受するのは、こちらでは夜半になるのですが、夜になるとコンピューターの文字が濃霧のベールで霞んできます。 秘書のYさんにお願いして、送信の際に、字の大きさを一つ上げて14ポイントにして試していみてただけないものかと案じているのですが、Yさんご使用のパソコンの機能にもよることですし、軽い気持でご相談までというお願いです。 今は、夜頂戴したメールを翌朝まで待って、目が回復したところで読んでおります。 ですから従来のままでも、一向に支障はありませんので念の為。

先日「ぶらり途中下車の旅」のDVDをみていたら、本郷の近辺が紹介されていました。 東大の構内の案内の外に、その近くの本郷か小石川の岡埜栄泉堂というお菓子屋を紹介していました。 大福で有名な老舗だそうですが、その菓子本舗が始めた日本料理の店が文京区にあって、洗練された建物と料理、それをもてなす若夫婦が紹介され、画面を締めくくっていました。 井上さんも利用されるのかなと思いながら見たことでした。 その割烹は比較的新しいのかもしれませんが、古い伝統のある文京の雰囲気がよく生きているように思えました。

私どもの住んでいるバンクーバーのウェストエンドは、渋谷を小さくしたようなものでしょうか。 道玄坂に相当するのがデンマンストリート。 その雑踏の中を私もルックサックを背に毎日買物に歩いているのですが、電動車椅子の人も大勢堂々と走っています。 一分置きか二分置きに電動スクーターと行き交うのですが、 肥った男性の多いのが目につきます。 それと男同士手をつないで歩くゲイのカップル。 そして老人の独り歩き。 私は、ウェストエンドというと、若者とゲイやレスビアンの街と誤解していたのですが、街全体がバリアフリーになっていて、年寄りや身障者に優しい町になっています。 見直しました。 それに低所得者用の安い公営アパートも聳えていて、いろんな階層や年齢の人が混然と生活しています。 これは都市計画の方針のようですね。 店のドアを開けて後から来る人を待ってくれる若者やご婦人も結構多く、郊外の中流中年の人達よりも思い遣りがあると、入居半年の私は、日々新鮮な体験をしています。 (06-06-27)

Saturday, June 24, 2006

友への手紙(06-06-24)

驚きました。 アパートの玄関のブザーが鳴り、インターコムで、「郵便物の配達です」と言う声が聞こえてきます。 急いで降りて玄関に行くと、郵便配達人が大きな小包を持って待っていました。 それが貴兄からの予期しない贈り物でした。 ビックリしました。 感謝とともに受け取りました。

待つのももどかしく、早速丁寧に包装されたパーセルを開いてみると、ビデオが三本。 それも「会議は踊る」とか「望郷」という、名前は聞いたことがありますが、私にとっては幻の名画。 「七人の侍」は見たことがありますが、ビデオに記入された数字で、「あぁ、あれはまだ大学に通っていた頃だったか」と懐かしく思いました。 それ以来もちろん見る機会はなかったのですが、このビデオで昔の感動が再現するのかと楽しみです。 独仏の名画にいたっては、七十年前の作品。 宝島で宝石の入った宝箱をみたような感じです。 本当にありがとうございました。

その後、お仕事と奥様の看護はいかがですか。 暑さも増し、涼風が恋しくなる時節ですが、千葉の方は東京よりしのぎやすいのでしょうか。 バンクーバーも、天気予報によると、29度から31度と言うことですから、扇風機をかけて、室内の空気を掻き回さなければなりません。 

浦安にお住いの頃は、潮風が吹き抜ける街で、よかったでしょうね。 日本からの短波放送で、金子よしえさんというアナウンサーが、浦安の素晴しさをリポートしているのを聴いて、大東京の間近にそんな理想郷があるのかと、羨ましく思ったことがあります。

私は、晴海の単身者用アパートに暫く住んでいたことがあるのですが、あの頃は、足が海の方へ向かず、バスでいつも服部の時計台が斜め前にそびえる銀座四丁目のバス停まで一っ走り。 公団のアパートでしたが、部屋の広さは四畳余り。 明るかったのですが、海辺にはセメントの工場がそびえていて、潮風どころか絶えずセメントの酸っぱい粉塵の匂いが漂っていました。 今思えば、あの頃月島とか佃に近かったのですから、下町の風鈴が聞こえる露地を歩いて情緒を探索すればよかったと、残念です。

カナダの西部は、アルバータのオイルサンドの開発、それに後四年後に冬季オリンピックを控えたバンクーバーも、猫の手でも借りたい程の建築ブームです。 ついこの間までは、求人広告に二百人もの応募者があったのに、今は二人の問い合わせがあればいい`方。 それでも、失業十年になる私には、どこからも声がかかってきません。 それどころか、最近とみに英語の理解力が衰えてきて、仙人といえば聞こえがよろしいが、知的廃人に近くなってきたことを情けなく思っています。 

このところオシッコが近くなったので、泌尿器科の先生に診てもらったら、前立腺肥大との診断。 八月にレーザーの施術を受けることになりましたが、今までは、映画館に行っても、途中抜け出してはトイレに駆け込まなければならなかったので、治してもらえるのが楽しみです。 目の方は、鍼を続けているのですが、なかなか好転せず、はかばかしくありません。 まあこれも老人になったしるしですから、半ば観念して鍼を続けることにします。

この一週間ばかり、国連の「都市の住まい」についての会議がバンクーバーで開かれましたが、世界中から都市開発に関心のある専門家やアマチュア達が集まりました。 そしてバンクーバーが「歩いてどこへでも行ける街」ということが会議の話題になったようです。 そういえば、私達も、買物も散歩もすべて徒歩。 車には滅多に乗らなくなりました。 自分では意識しなかったのですが、これで我々も時流に乗っかった暮らしをしているわけだと、自己満足にひたっています。 

Friday, June 16, 2006

税務署を訪れて (06/06/15)

今日は、REVENUE CANADA(税務署)に行って参りました。 こちらの納税期限は4月末ですが、その申告の否認追徴の通知を数日前受け取りました。4;000ドル払えと言うのですが、大会社の40 億円の追徴に比べれば、私の40万円なんて目高のようなちっぽけなもの。 それでも貧しい年金生活者にとっては腹にズシリと応えるような予想外の出費です。 どこでそんな間違いを仕出かしたのか判らなかったのですが、数字に弱い私は、(カナダに移住してから何年も税金を払っていなかったのだし、リタイアしてからもなんとか生き延びているのだから)と払う心積もりでいました。 しかし税金を申告する時に手伝ってくれた友人に見てもらったところ、「これは税務署の間違いだ」と言います。 医療費と寄付金の控除が見落とされているというわけです。

そこで、書類のコピーを持って税務署に行ってみたのですが、窓口の担当者は、書類をチェックして、説明を聞いて、あっさり税務署側のミステークを認めてくれました。 そればかりでなく、私が目の不自由な障害者であることも認めて、幾ばくかの優遇措置も講じてくれました。 改めて訂正の通知が来るでしょうが、恐らく税金は払わなくてもいいだろうということです。

私は、まさか鬼より怖い税務署が間違いを犯すことなどあるまいと思っていたのですが、、意外に柔軟な受け答えに、半ば驚いてしまい、足取りも軽く帰路についたことでした。 友人の賢明な指摘のおかげです。 電話でその友人に何回も「THANK YOU VERY MUCH」を繰り返しました。 

日本の税務署は、まさかそんな誤りはしないでしょうね。 バンクーバーの税務署の応対は感じが良かっただけでなく、ほとんど待たされることもなく、話し合いも15分程ですみました。 カナダでの生活点描の一齣です。 (06-06-15)

Saturday, June 10, 2006

友への手紙(製品評判の変遷):(2006/6/8)

Aさんへ

コンピューターの時代にあって、珍しく貴重な封書を頂戴したので、「何事ならん」と封をあけたのですが、そうでしたか。 お手許のコンピューターの修理が手間取っているとのこと。 心からご同情申し上げます。

どうして日本の一流メーカーの製品が故障するのでしょうね。 そういえば、インターネットの新聞の見出しに、アメリカの自動車団体が、品質の点では、韓国の現代の車がトヨタを抜いて、高く評価されたとありました。 一位はポルシェ、二位がトヨタのレクサス、三位が現代で、トヨタの他の機種は四位。 ホンダは六位とのこと。 

こちらの電化製品の店では、横長のテレビも、なじみの薄い韓国製品と中国製品が日本の東芝やパナソニックを抑えて、目立つところに陳列してあります。

そこで思い出したのは、1969年ロンドンで、初めて車を買った時のことです。 まだソニーやパナソニックが怒涛のように英国市場に雪崩込むちょっと前でしたが、当時も在英の日本人達も、イギリス製品なら上等舶来と崇拝していました。 イギリスかぶれの私もそうでした。 ですから知り合いの日本人の車も当然オースティンとかその他のイギリス製。 戦後の日産は、オースティンと技術提携して、本格的な乗用車生産に乗り出していましたからね。

ロンドンのディーラーをのぞいてみると、ショールームの一隅に、トヨタのコロナがありました。 日本では既にマーク2が走っていたのですが、そこにあったのは、それより旧式のダックスタイルです。 家族と相談してそれを買ったわけですが、日本人同僚に話すと、「アッと驚く為五郎」という反応が返ってきました。 為五郎とは何のことか判らないのですが、意外な選択と受け取られたのでしょう。 日本製品は「安かろう悪かろう」という先入感がまだ日本人にも沁み込んでいたのでしょう。 その頃は、日本大使館からの要望として、「在留邦人はすべからくテーブルクロスのかかっレストランで食事すべし」というお達しがあったとか、嘘の様な話も聞きました。

しかし、その直後、1970年頃から海外旅行が自由化され、円高も手伝って、ロンドンにも「オペア」と称するお手伝い志望の大和撫子のお嬢さん達がドッと押寄せました。 そしてピカデリーサーカスのキューピッド像の辺りにたむろするようになりました。 

それにドブ鼠色の背広に、眼鏡にカメラの日本人。 それは私自身の姿でもありましたが、さらに加えて肩から「キンキ・ニッポン・ツーリスト」のショルダーバッグをさげている人もいます。 ロンドンっ子達は「なんじゃぁ、ありゃぁ」と目を剥くのですが、近鉄の人も「キンキ」の意味するところは昔から十分ご存知だった筈。 まさか今でも同じバッグを客に配っているのではないでしょうね。 長い間の渡航禁制がとれて、海外に繰り出した日本人の群れをみて、イギリス人は「まるでレミングのようだ」と驚いていました。

話が逸れましたが、コロナに決めた後で、そのディーラーのマネジャーが、「実は、私も同じ車を使っている。 とても調子がよい。 それに比べて、このイギリスの車はどうだ。 見てくれはいいが、中味はこの通りスカスカだ」とボンネットを開けて空きの多いエンジン廻りを見せるのでした。

自分が持っているのなら、早くそれを言えば、買い手の気持にも弾みがつくのにと思ったのですが、それを敢えて言わないところが、古いイギリス人気質なんでしょうか。 それとも「客が自分の気にいれば、買わせてやろう」という、ズボンのポケットに手を突っ込んだままの、当時のイギリス的セールスの延長だったのでしょうか。  

それから暫くして、コロナを整備工場に持って行ったのですが、そこにいた中年のイギリス人の客が、「その車はどうかね」と話し掛けてきました。 「まあまあだ」と応えると、「私の車はイギリス製だが、この頃の英国車は、どうして故障ばかりするのだろう。 昔はイギリス製というと、信頼がおけて、こんなことは無かったものだが。 私もこれからは日本車に切り替えることにするよ」と憮然とした表情で語っていました。

その頃です。 イギリス議会で、議員が「メード・イン・ジャパン」について発言していました。 「昔は、日本製というと、品質が悪いから、消費者が用心するように『メード・イン・ジャパン』の表示をつけさせたものだ。 ところが今は『メード・イン・ジャパン』というと、品質が良い証拠だと消費者がこぞって買うから、これからはその表示を止めさせるようにしよう」と。

カナダでも、ついこの間までは、韓国製というと、「お粗末」の代名詞だったものですが、この頃はコンピューターに詳しい日本人でも、「”サムスング”、これが今世界で一番良いモニターだ」と迷わず即座に買います。 

韓国の「日本に追い付き追い越せ」は意外に早く実現したのですね。

来月はポーランドのアウシュヴィッツ詣でですか。 以前のサイパンの SUICIDE CLIFFの検証といい、本当にスゴイことですね。 貴兄のたくましい精神力と体力、そして経済力と、その精気に満ちた生き方にはつくづく頭が下がります。 これがまた紀行文やエッセーとなって文字に文章に再生されることでしょう。

奥様の健康が少しずつ上向いているとうかがい、喜んでいます。 貴兄も来月の旅行にそなえて、英気を養ってください。

シゲより   (06-06-08)

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Friday, June 02, 2006

オタワこのごろ(06-05-31)

イノさんへ

1月の選挙で、保守党は36%の得票で、第一党となり、政権に就いたのですが、現在の支持率は43%。 まずは順調な伸びで、ハネムーンの延長かと思われます。 仮にもし今選挙を行われれば、保守党が絶対多数をとる公算が大きいと言えましょう。

しかし、この、世論調査による支持率というのが曲者で、マーティン前首相が選挙に踏み切った時も、最初は自由党が優勢だったのに、僅かの日数のうちに逆転したのですから、水物です。 戦後のアメリカで、絶対負けると思われていたトルーマンが共和党のデューイを破ったケースも、戦中派の人なら忘れることのできないどんでん返しでした。

1月の選挙の際も、保守党はケベック州で完敗と思われていたのですが、選挙戦が行われている間に、自由党の弱みが次々に表面化し、蓋を開けてみたら、保守党の当選者は10名に達していました。 その中から5人が閣僚に起用されたのですが、ハーパーのケベック重視の考えがよく窺がわれます。 次の選挙で保守党が過半数をとるためには、ケベックを固めることが必須です。

ただ、ハーパーとその環境大臣のアンブローズ(女性)は、「京都」が非現実的であると、機会ある毎に、自由党前政権が調印した「京都議定書」を最大限の侮蔑の言葉で非難しており、京都プロトコールからの脱退を促しています。 そして代わりに「メードイン・カナダ」を用意すると言っているのですが、環境相は、一向にその具体策を示そうとしません。 これは、ブッシュとほとんど同じ案を引き写すものと思われます。

ケベック州政府は、ハーパーとは他の面では協調しているのですが、環境問題に関してはオタワに反対で、あくまで京都の目標を目指すという立場をとっています。 ハーパーも、ケベックのご機嫌を損ねるようなことはタブーですから、この問題でどんな歩み寄りをみせるか注目したいところです。

もう一つのハードルは、銃規制の問題。 保守党は、これも撤廃すると強調していますが、これは国論を二つに分ける重大問題。 保守党は、銃規制登録の手続きにはコストが掛かり過ぎるというのですが、だからと言って、規制を全廃せよというのも乱暴な議論のように思われます。 猟銃ならともかく、ピストルやライフルまで規制から外せというのですから、銃砲規制については日本の政策がベストだと思います。 銃を使った犯罪には厳罰をもって当たればよいというのが保守党の理屈ですが、この前もお伝えしたように、一人の犯罪者を収監するのに、年間10万ドルかかるというのですから、これも現実を無視した無理な話です。 

長年米加間の棘となっていた針葉樹材の問題も、ハーパーとブッシュの腹芸で急転直下解決をみたように思われますが、よくその内容をチェックしてみると、カナダの森林産業の将来に禍根を残すような取り決めだと判りました。 アメリカの言いなりになっていると、業界から不満が噴出しています。 野党はもちろん最初から反対でしたが、この交渉の責任者が、エマソン通商相。 バンクーバーの選挙区から自由党として出馬しておきながら、ハーパーからの誘いで、保守党に鞍替えした人です。 次の選挙では、選挙区でも変えない限り無理でしょう。

シゲより