Thursday, August 31, 2006

地球温暖化のつけ (2006/08/31)

イノさんへ

バンクーバー島の西海岸にトーフィノーというリゾートタウンがあります。 小さいコミュニティですが、ホリデーメーカーの間では評判が高く、「トーフィーノーに行ってきた」と言えば、ヤッピーの間でもちょっと自慢になるという土地柄です。 アメリカのみならず、ヨーロッパからも聞き伝えて、観光客がやってくるそうです。 私も一度だけのぞいてきました。

次のホリデーのピークは、レーバーデー・ウィークエンドですが、その休みに予約を入れていた客達に、今ホテルでは、キャンセルの通知を送るのに躍起の状態です。

というのは、この小さな町の貯水池がカラカラに乾いてしまって、水道から水が出なくなったためです。 ここは、いつも雨が急に降り出すことで有名で、私が一度だけ行った時も、ちょっと離れれば天気がいいのに、トーフィーノーの海岸に着いた途端、ミニ暴風雨みたいなお天気に急変しました。 そして町を離れると、再び好天に戻りました。

皮肉なことに、この町のまわりの森は、これまた「レインフォレスト」と呼ばれています。 そして目の前は無限の水をたたえた太平洋。 高波が絶え間なく岸に打ち砕け、私が見ている前でも、ミニ暴風雨の中を、波に乗ってサーフィングをしている冒険児達が何人もいました。 鯨の遊泳も沖で見られるというので人気の海です。

ここで、今年に限って、60日も快晴が続いたため、水飢饉となり、ホテルもレストランも休業を強いられることになりました。 かきいれどきに飛んだ災難ですが、市長を責めてもどうにもなりません。 ボトル入りの水を幾ら運んできても、それだけではレストランをオープンすることもできません。

天候異変は、多額の資金を投じてシャレたホテルをこしらえたビジネスにとっては致命的な災難ですが、予約した顧客にどう謝っても、失墜した評判はどうなるのでしょうか。

私はアルゴアの作った映画 「An Inconvenient Truth」をみて、地球温暖化の警告を阻止しようとしたホワイトハウスの策謀に恐れをなしたのですが、ニューオーリンズの「カトリーナ」の悲劇にとどまらず、バンクーバー島の平和な愛すべきコミュニティまでも天候異変に巻き込まれているわけです。 カナダのハーパー政権の環境相はそれでもブッシュ大統領に追随して京都議定書を否定していますが、次は私の住む海浜のアパートが海水の上昇で水浸しになる番ではないかと心配なのです。

(06/08/31)

Wednesday, August 30, 2006

年金生活 (2006/08/30)

イノさんへ

もう9月を目の前に迎え、やがてクリスマス、正月が速足でやってくるのを感じます。

今年の夏は、遂に「暑い」という思いをすることなく過ごせたのは幸運でした。 私どものアパートは北東と北西に向いているのですが、他のカナダの町はいざ知らず、バンクーバーでは、北向きの方角が好まれます。 南向きの、日当たりのいいコンドミニアムはなかなか買い手がつきません。

私どものアパートも、南向きや西向きの部屋だと熱帯夜を経験することもあるようですが、北向きの部屋ならそんなことはありません。 扇風機はおろか、扇子も団扇も不要。 夜など窓が開いていると寒いくらいです。 

先日ニュースで、カナダの退職者の平均的な生計費を報じていましたが、月平均3,500ドル(33万円)だと伝えていました。 ということは、その倍使う人もいるだろうし、その半分でで暮らす人も居るということでしょう。 大体退職する年代になると、ハウスローンの返済も終わり、住宅費にお金がかからないのが普通です。 
住宅を持たないプロレタリアが払う家賃は、大体バンクーバーで月1,000ドル(95,000円程度)が平均ではないかと思います。 もちろんケースバイケースでかなり差は出てきますが。 

仮に家賃1,000ドルとしましょう。 この中には通常暖房費が含まれていることが多いのですが、これも一概には言えません。 食費は2人で一日20ドルで月に600ドル(6万円弱)あればいい食事ができるでしょう。 医療は州政府に払い込む保険料が2人で月100ドル(9,100円)。 ほかに処方薬や州の医療制度でカバーされない漢方療法などは民間の保険が適用されますが、これが月100ドル。 ケーブルやインターネットの接続料が月100ドル(9,400円)。 外食する場合、一人一回20ドル(2,000円)ぐらいが目安でしょうか。 そのほかにクリスチャンやユダヤ教徒なら収入の1割を献金することになっているのですが、果たしてどれだけの人が実行しているでしょうか。
 
イノさんにカナダの年金生活者の暮らしの一端を知ってもらいたいとひと言触れてみました。

(06/-8/30)

Thursday, August 24, 2006

卒倒体験(2006/08/24)

イノさんへ

先日もお伝えしましたように、不覚にも自宅で倒れ、イマージェンシーに入院する羽目になりました。 今はもうすっかり回復し平常の生活に戻っています。

火曜日に前立腺の手術を、病院の外来で受け、午前中で帰宅。 金曜日にカテーテルを外してもらい、「当分は重い物を持たないように。 またなるべく坐らずに、立つか寝そべるように」と言われ、これで一件落着と思ったのでした。 ところが自宅で吐き気を覚え、洗面所で倒れてしまいました。

私自身は倒れた瞬間のことは全く覚えていないのですが、家内が心配して見守っている目の前で、ドシンと仰向けに倒れたそうです。 

家内は直ぐ「911」に電話をかけたのですが、瞬時に応答。 「呼吸は? その間隔は? とにかく受話器を持って傍に行き、状況を話続けて知らせるように」と話しあっているうちに、ドアに3人の消防士がやってきました。 ダイヤルを回してから2分と経っていたでしょうか。 それに追い掛けるようにして救急車のパラメディックが3人。 私の容態をチェックすると、「後は私達がやるから」と消防士達に帰ってもらったそうです。 

その頃には私も意識が戻り、床に横たわっている自分に気がつきました。 それにしても男の声が戸口でします。 「誰か訪ねてきたのかな」と思ったのですが、立ち上がろうとすると、「そのまま、そのまま」という声とともに、誰かが脇の下を抱えて起こしてくれました。 エレベーターで下へ降りると移動式の寝台が用意してあって、それに乗せられて救急車へ運ばれました。

病院に着くと、直ぐイマージェンシーの治療室に直行。 午後2時ぐらいだったでしょうか。 それから12時間、色々なテストをして、CTスキャンで脳もチェック。 午前2時に、トランジットラウンジという暫定病室に移されました。

倒れた瞬間は、別に目まいがしたわけでもなく、まわりが点に収斂することもなく、目の前が黒く暗転することもありませんでした。 よく蘇生した人達が語る、トンネルや三途の川も見かけませんでした。 天国の門もロダンの「考える人」の佇む地獄の門も見えず、パラメディックの声で目が覚めたのでした。 ですから「仮死」に近い状態ではなかったのでしょう。

しかしあれで若し心臓が止まっていたら、実にあっけない最期でした。 死ぬ本人は痛みも苦しみもなく、黄泉の世界に移れるのですからいいのですが、あとに遺された者が大変です。 その混乱を少しでも減らすようにするのが、これからの余生の責任だと、病院のベッドで考えたことでした。 

もしカナダ統計局の平均寿命が私にも当てはまるなら、私の余生はあと3年。 うちは大体短命の家系で、父も伯父達も、一人を除いて全員50代の前半で亡くなっています。 私も日本に居た頃、医者に「50までもちませんよ」と引導を言い渡されたのですが、それが30代の半ば。 それから海外に出て一度休暇で戻った時診てもらったら「もう大丈夫」と言われました。 「カローシ」という言葉に無縁の環境に暮らすようになったからでしょうか。 

検査の結果、大量の水を飲み過ぎて体内の塩分が極度に減少したことが原因で卒倒したことがわかりました。 今回の入院は3晩4日でしたが、遂にまともな病室に移ることなく、イマージェンシーの延長であるトランジットラウンジという、14のベッドの並ぶ大部屋で過ごしました。 一応カーテンで仕切ってあるとはいえ、声は筒抜けです。 看護師も患者もその間走馬灯のように移り変わっていきましたが、多様な人間模様をみていて、「創造主はよくこれだけ多彩な人間を創ったものだ」と今更のように驚いたことでした。 

隣のベッドには、日本に10年滞在した人類学者もいましたが、そのプロフェッサーと並んで、そのほかにベッドで泣き叫ぶ人、頭のおかしい人もいて、自分の置かれた境遇について改めて恵みを思い知らされたことでした。

(06/08/24)

Wednesday, August 16, 2006

半日入院(2006/08/15)

イノさんへ

今日は、前立腺肥大の手術をしてきました。 簡単な手術だから、終わったら直ぐ歩いて帰れるだろうと思ったのですが、実際は矢張り付き添いが車で玄関までやってくる必要がありました。

手術は9時からと聞いていたのですが、手術室に入る前に腕時計をはずし、壁にかかっている時計を見るのを忘れたので、確な所要時間は判りません。 45分から1時間と聞いていたので、頭と目以外にこれといった障害のない私は恐らく最小時間ですんだのでしょう。

背中に麻酔を打たれて、トロトロッとしたようでしたが、目をあけると、担当の専門医の姿がみえます。 「これからいよいよ手術だな」と思ったら、「もう済んだよ」という言葉。 驚きました。 20年前腎臓結石の開腹手術を受けた時も、麻酔のスリックな効き目に驚いたのですが、今度もスムースな体験で、しかもその後リカバリールームに移されて麻酔がすっかり取れるまでの3時間、実に快適な気分なのです。 しかし足が上がりません。 阿片でも吸ったらこんな心地になるのかと思うくらい、なんとも言えない極楽の蓮の上にでも寝ているような感じ。 もし死ぬプロセスがこんなに快適だったら、ピンピンコロリの仕上げには最高だと思ったことでした。

しかし全身麻酔は次第に肩から胸に醒め始め、徐々に腹部、腰へと下がっていきました。 そして事前に知らなかったのは、プラスチックの管を通して、袋に尿が溜まることです。 今日は火曜日ですが、これを金曜日までつけておいて、金曜の朝ファミリードクターに外してもらうことになりました。 ですから、それまでは重い物も持てず、外出もできません。

デー・サージェリーという日帰り治療の部門で手術を受けたのですが、数多くの看護婦が入れ替わり立ち替わりやってきて面倒をみてくれます。 私はバンクーバーの人が特に親切だとは思わないのですが、今日の看護婦さん達は全員Aプラス。 バンクーバー旧市内の半分は中国系ですから、数年前ヘルニアで入院した時は、本院の看護婦さん達は、フィリピン系や中国系などアジア系の人が多かったのですが、今日のデー・サージェリーはどういうわけかヨーロッパ系の人ばかりです。 

私には人種偏見があるので、安岡章太郎の感覚にある程度共感するのですが、外人と接する時虚心坦懐にというわけにはいきません。 外人に愛想よく親切にしてもらうと「どうしてアジア人の自分に?」という一抹の疑念がふっ切れないのです。 若い人には不可解なことでしょうが。

今日の看護婦さん達は一人残らず親切。 そして上機嫌。 快活で優しい。 しかもビジネスライクで万事がテキパキと。 きっとマネージメントが良いのだと思います。 人間大体性質と能力は似たようなもの。 十人十色の個性を活かすか腐らすかは、上に立つ人の責任。 ここで嬉々として働ける環境をつくったのは、伝統
なのか? それとも誰かカリスマのあるリーダーが居たのかなと考えました。。  

安岡章太郎先生はアメリカ軍と戦った世代。 その先生が戦後間もなくアメリカの田舎を旅行して、未知の人に「泊まっていけ」と言われて、その心根を測り兼ねたというのも判るような気がします。 私は戦後派ですが一応竹槍の銃剣術を習った生徒の一人。 外人というとどうしても身構えてしまうのです。

これから金曜日まではプラスチックの袋をぶら下げて、ソファーにごろ寝の公認カウチポテトです。 

まあ阿片に近い寝心地といい、機嫌のよいご婦人方に何くれと面倒をみてもらい、なかなか結構な半日でありました。

(06/08/15)

Monday, August 07, 2006

老後を海外で(2006/08/06)

イノさんへ

カナダへの移住は、4000万円の金をカナダ政府に預託して5年間寝かせれば可能なのですか。 あれは20年ぐらい前だったでしょうか。 東京都23区内に、たとえどんな小さな土地建物でも、一つ持っていれば、当時でも億万長者と言われたものです。 今はバブルも終わり、時世も変わりましたから、そういう喩えは通ずるかどうか知りませんが、少なくとも、東京都内には億万長者が何百万人といたわけです。 そういう人には、墓場までその財産を持っていけるわけではありませんから、この世で有効に使うためには、4000万円ぐらい「こまいこまい」と言えるのかもしれませんね。 日本も住みよい国ですが、老後を海外でという方には、カナダも悪くありませんね。

先日のお便りで、日本も道徳観念が堕ちたという事例をお伝えいただきましたが、狭い歩道を3人ばかりの若い男女が横並びになって歩くのはカナダも同じです。 若い人には年寄りがインビジブル、目に入らないのでしょうね。 アメリカの社会心理学者が老人に変装して実験してみたところ、人込みの中にいても、殆んどの人が老人の姿に気がつかないそうです。 タクシーも止まってくれない。 教会でさえ若い人達が気をつかってくれないというのは、アメリカのようなフレンドリーな社会では考えられないことのように思えるのですが、事実そうなんでしょうから考えさせられます。 

しかし5年前東京に帰った時、近所の多摩川台公園で朝6時半から行われるラジオ体操に出てみました。 すると、その時間に道で行き会う出勤の人達の中には、「お早うございます」と声をかけて駅に急ぎ足で向かう人もいました。 

私もアメリカとイギリスに住んだ後、カナダに移住して来たのですが、英米の人にくらべて特にフレンドリーという印象はありませんでした。 むしろ英米人は知らない人に対してはフレンドリーですが、知り合いの間ではクールという感じがありました。 日本人は、知らない人に対しては概して不親切ですが、知り合いにはサービスこれつとめます。 カナダ人は、英米人と日本人の中間だなと思ったことでした。

例外は、私が今住んでいるバンクーバーのウェストエンドでしょうか。 ここはダウンタウンの中心で、商店街とアパート群がミックスしているのですが、そこで出会う人には、オーバーリー フレンドリーというわけではありませんが、他人に気をつかってくれる雰囲気があります。 道路でも商店でも、「エクスキューズミー」「アイムソーリー」「サンキュー」「ウェルカム」という声を頻繁に聞き、ドアを開けて待ってくれる人も多いのです。

そして目抜きの通りでは、老人、車椅子、一見貧しそうにみえる人も結構多い。 勿論圧倒的に多いのは、手足のすらりと伸びたヤッピー族ですが、中には男同士手をつなぐゲイも見かけます。 通りで耳にする言葉も、英語以外の聞きなれない外国語が漂ってきますが、その中で特に耳に響くのが若い日本女性の日本語。 大和撫子は大抵二人連れで歩いていますが、ワーキングホリデーの情報交換でもしているのでしょうか。

市の方針として、この地区では、貧富や年齢の違いを意図的にミックスさせようとしているのかなと思うくらいです。 要するに弱い者にとって住みやすいコミュニティになっているのですね。 こういうのをシビライズドな社会というのでしょうか。

私は以前ロンドンに住んでいたことがあるのですが、あの「外国人嫌い」の英国人の間にあって、ロンドンで暮らすノウハウを一旦心得てしまえば、実に住みやすい所でした。 このバンクーバーのウェストエンドの住み心地も、ロンドン以来のものだと思っているところです。

気候がいい、景色がいい、病院がよくて、買物にも便利というのは大事なことですが、袖振り合う未知の人同士ちょっと声をかけ合い、微笑み返すのも、ストレスが減り、心やすらかな生き方につながるのではないかと思います。 イノさんも海外で老後をとお考えなら、バンクーバーのウェストエンドも候補地の一つにいかがでしょうか。


(06/08/06)

Thursday, August 03, 2006

昨晩は花火がありました(2006/08/03)

P大兄

8月に入って、これからの暑さは残暑ということになるのでしょうか。 日本を離れて長くなり、昔お盆で唐湊の墓地に詣ったのは7月だったか8月だったか、記憶が怪しくなりました。

相変わらず幽々自擲の毎日です。 そしてパソコンに向かっているわけですが、今日のニュースによると、インターネットをやる人は、知人や家族とインターアクトする機会が少なくなり、独りで過ごす時間が増えると、政府の統計局が発表したと伝えていました。 そんなことは政府の調査によらなくとも、自分で半ば心得ていた心算ですが、それがコンファームされたわけです。

今はちょうど花火のシーズン。 私の住んでいる所の真ん前で花火が打ち上げられるので、かぶりつきで見られます。 何万、いやひょっとしたら何十万になるかもしれませんが、夜30分の花火のために、遠く郊外からも、時間をかけてやってきて、4時間も6時間も前から、海岸で陣取っています。 雑踏がいやだとか、群衆が苦手とか言う人もいますが、いつも独りで過ごしている私としては、明るいうちに集まってくる観衆にまじって歩くのも楽しみです。

殆んどは、若い人達ですが、結構一人で見物に来ている中高年の人もいます。 私と同じように、「孤独が好きだ」と強がりを言いながら、時には、特に暗くなると、人恋しくなるのでしょう。

海岸には、屋台の店が並びます。 ホットドッグやドーナツ、フィッシュアンドチップス。 アイスクリームにアイスドリンク。 それをノドに流し込むと、トイレに行かなくてはなりません。 臨時の仮設トイレが、あちこちに幾つも並んでありますが、どこも長蛇の行列です。 車椅子の人も大勢います。 芝や砂浜の上に毛布を拡げる人達が殆んどですが、デッキチェアを持ってくる心がけのいい家族連れもいます。 

海には、花火の舞台のまわりに、これまた無数のボートやヨットが泊まっています。 これも数時間前から待っているのでしょう。 

警官も大体が4人ずつグループになって、目を見張っています。

私は、そういった状景を一応見物すると、アパートに戻りました。 そして10時前、すっかり日が暮れてから海岸に出直しました。

花火そのものは、貴兄もよくご存知でしょう。 火柱が中空に上がると、大太鼓を叩くような炸裂音が響きます。 光と音の饗宴。 若い人は、指を口にくわえて、ピーッとつんざくような口笛を鳴らします。 かぶりつきなので、きな臭い硝煙の匂いが漂ってきます。  

10時半になると静かになり、下弦の月の浮かぶ暗闇にもどりました。 この花火大会は2週間に4回行われるのですが、昨晩はチェコスロバキアの花火師の披露。 費用は3億円かかるそうですが、チェコやイタリア、中国からの輸送費も入っているのでしょう。 しかしその大半は、仮設トイレとか救急車とか、お巡りさんや警備のコストだそうです。

私も75才になって、花火が頭上で大音響とともに赤い火の傘を咲かすのを見ようとは思いませんでした。 海辺と公園に近い所に住むおかげですが、これも家賃のうちだと思うと少し得したような気分。 またこの次も来ようと思って、芝生から腰を上げたことでした。

(06/08/03) www.shigematsu.com

イノさんの質問に答えて(2006/08/03)

イノさんのご質問にお答えします。

たしかにオイルサンドの生産はブームに沸いています。 人手がいくらあっても足りない状況で、カナダのみならず海外からも助っ人を集めなければなりません。 アルバータの賃金は鰻上りで、そのインフラを支えるサービス産業、たとえば手っ取り早く言えば、レストランのウェイターも深刻な求人難。 オーナーシェフ達も頭をかかえています。 慢性的に失業過多で知られるニューファンドランドの人達も、「アルバータには行きたくないのだが、背に腹は代えられない」と、家族をニューファンドランドに残したまま、集団でアルバータのオイルサンド地域にやってきて、アパートで共同生活をしています。 ニューファンドランドとは余りにも違う環境で、望郷の念に駆られながら、経済的にはともかく、感情的には複雑な気持で、日々を送っています。

スティーブン・ハーパーの選挙区は、エネルギー産業の中心地カルガリーですが、 ご存知の通りカナダのテキサスと呼ばれる土地柄。 人心もカナダ的というよりアメリカ的。 ハーパー自身は、オンタリオで高校まで過ごしたのですが、アルバータに移住。 そして保守党の党首に選ばれた時点では無議席だったのですが、既にカルガリーの選挙区で選挙運動を進めていた候補者を押し除け、自分が居坐りました。  

ハーパーにとっては、選挙区のエネルギー産業の振興こそ、政治家としての使命。 「京都」には勿論反対。 自分の関係する特定産業の利益は、人類の運命よりも、地球の未来よりも優先するわけです。

そして政権に就くと、同じく石油産業のもう一つの中心地エドモントン選出のローナ・アンブローズを環境相に抜擢しました。 この人の経歴は政府の広報をみてもはっきりしませんが、党派心の強い女性のようで、環境問題の是々非々よりは、自由党憎しの思いが強く、「京都」をことごとく非難します。 なるほどハーパーが気に入ったはずです。 しかし代替案は就任後半年経っても明らかにしません。

アメリカのアル・ゴアが20年来説く、「地球温暖化を防ごう」というクルーセードはようやく北米の人達の間にも浸透してきたようで、映画「An Inconvenient Truth」をみると考えさせられます。 ブッシュやアルバータの州首相ラルフ・クラインが「まやかし者のインチキ科学」と弾劾する方が、よほどまやかしであり、人類に対する敵対行為であるように感じます。 

アルバータ州民は、たしかに石油の利益の一部還元を受けています。 しかしこのキャッシュボーナスも、限りある天然資源によるものだけに、将来それが枯渇する日もあるでしょう。 心ある政・財・学界の指導者達が、それに備えて次の戦略を考えてくれていることだろうと期待します。 

(06/08/03)

Wal-Mart(2006/08/02)

イノさんへ

韓国にウォールマートの世界戦略を脅かす流通企業があるのですか。 驚きました。

ウォールマートは、世界に5千を超える店舗を持ち、アメリカの家庭の8割が、昨年、少なくとも一度はウォールマートで買物をしたそうです。 カナダでも積極的な拡販作戦を展開しています。 それでもウL-るマートに言わせれば「マーケットシェアはまだ1割。 9割のお客はよそで高い買物をしている」ということになります。

しかしそれよりもっと驚くのは、創業者のサム・ウォールトンがアーカンソーの田舎で最初のウォールマートの店を開いたのが1962年だったということです。 昭和37年といえば、我々も社会に出て徒弟奉公をしていた時期。 その頃アーカンソーの田舎で始めた店が、50年も経たないうちに世界一の企業となり、今も成長と変貌を続けているわけですから、同じ時代を生きてきた者としては多少の感慨なきを得ません。

創業者は、ミズーリ大学は出たものの、学生時代はずっと新聞配達を続け、ビジネススクールは経済的な事情で諦め、奥さんが「1万人以上の町には住みたくない」と言うので、田舎の顧客を相手に小売を始めたらしいです。 

今のリー・スコット社長は3人目のCEOですが、入社した時の仕事は運輸担当。 後にマーチャンダイジングに転じ、CEOになったのが2000年。 「人を動かす」ことに長けていた創業者の哲学を継承し、世界一になった今でも、絶えず進化と変革を追及しているようです。

金曜日には20人ばかりの幹部と経営をチェックし、CEOは15カ国にある店舗を毎週抜き打ち的に訪ね、顧客と社員の声を確かめるそうです。 創業者も、野球帽をかぶりトラックを運転して店頭に現われていたそうですから、その伝統でしょう。 出張のホテルもビジネスホテル(和製英語?)。 コストを抑えるべく自ら範を示していたようです。

顧客は、生活費や税金の高騰とのバランスをとるために安い商品を求めるのですが、最近のトレンドはそれに加えて高品質も要求されます。 有機食品の需要が増え、単価の高いプラズマやLCDTVも同一店内に並ぶようになりました。

一方巨大になったため、政治的かけひきに巻き込まれ、訴えられるケースも増えてきました。 そこで批判のある部分を改善し、環境にも配慮を施し、イメージアップに取組んでいます。

韓国のスーパーもウォールマート以上に頑張っているのでしょうが、イノさんが予想されるような日本進出が実現するならば、国境なき流通産業が日本の消費者の生計費にも貢献することになりましょう。 そしてその勢いを駆ってカナダへも進出するかもしれませんね。 バンクーバーの商店街には、ハングルの看板を掲げた韓国の店が最近急に増えてきました。 日本のスーパーと韓国のスーパーと
どちらがはやくカナダに上陸するでしょうか。

(06/08/02)